ありがたくないことも、ありがたい

 

一見「ダメなこと」、「失敗したこと」も実はダメではなくて、前進するためには必要なこと、なんだよなと思ったりする。

 

ぼくは基本的に(これは前も書いたけれど)、自分が不得意なこととか、上手くできないことはどうにかやらないで済ませようとする傾向にある。これは、今もそうかもしれない。それでももちろん良いんだけれども、上手くできないことをやって、失敗して、アチャーとならないと、進化はないかもしれない、と思ったりもする。

 

自分がやりたいことや、取り組みたいことには、結構な確率で、「苦手なこと」や「出来たらやりたくないこと」が付いてきたりする。それをやらずに逃げ回るのも手としてはあるけれど、あまり得策ではないらしいことに最近気づいた。

 

例えば。ぼくは率先して、あるいはリードして何かをすることが苦手である。それから、何かに意識を向けたりするのがとても苦手である。あるいは、「場を作る」とか「場の空気をつかむ」といったことがものすごく苦手である。苦手だから今までやってこなかったし、出来ることならいまだにやりたくもない。

 

でも、よくよく考えると、ライターの仕事は人から話を引き出して、それを文章にまとめることであって、そのためには人から話を「引き出す」ということが絶対に必要になる。となると、誰が率先するのか、リードするのかといったらぼく以外にないし、場を作るのは誰かと言ったら、ぼくでしかない。

 

人の想いを文章にして後世に遺す、というのがぼくのやりたいことだけれど、それも「想い」を引き出すことができなければ、出来るはずがない。

 

何かに意識を向ける、というのもそうで、今どういう状況で、何が求められていて、どう動くべきか、何をすべきかの判断がぼくはとてつもなく鈍い。超絶苦手である。自分は自分の好きなように生きる、と思って生きてきた(というか、そんなことすら考えずにボンヤリ生きてきた)から、そういう「場」とか「氣」を読む力が乏しい。

 

んだけれど、これも最初の話に戻る。それができないことには、自分がやりたいことが達成できない。だからやる、しかない。

 

これは、やって身に着けるしかない部分も大いにあると思っている。やってみないとわからないし、やったらやっただけ(少しづつでも)上手くなる、はずである。

 

そう考えると、何が起きてもありがたい、と思えるようになる。失敗したことも、辛い経験も、ありがたい。

 

とまあ、そこまで思えればだいぶ精神的に成長したと思えるのだと思うけれど、ぼくは未だに失敗して、うー、となって、もうやめとこうかなと思ったりしつつ、いやいや、このままでは終われない・・・などと葛藤を繰り返す日々を送っている。

 

一見して「ありがたい」ことだけが、必ずしもありがたいわけではなくて、ありがたくないと思ってしまうようなこと、あるいは、日常当たり前だよねと思っているようなことが、実はありがたいことだったりする、ということがある。何でもないようなことが幸せだったと思ったりする、いわゆるTHE 虎舞竜案件と思われるかもしれないけれど、それはあえて、そうとも違うともいわないでおく。

 

そういう「ありがたいこと」にも、感謝できる自分でいたいなと思う。

 

今日はオモシロ要素控えめでなんかすいません(謝るようなことでもない氣もする)。 

 

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