まず、放つ

まずは放つこと、一歩踏み出してみることからしか始まらない。

 

ぼくのことを知っている方は「そうだね」と思われると思うけれど、ぼくはものすごく慎重派である。こう書くと聞こえが良いけれど、正確には及び腰というか、逃げ腰というか、へっぴり腰というか、そういうタイプである。

 

こう書いてみて、日本語って面白いなあと思うのは、やはり「腰」なんだなと思う。物事に本気で取り組もうという時は「本腰を入れる」し、ちょっと弱気になると「腰が引けている」となる。

 

たぶん、物事に取り組むときに最も大切なのは「腰」なんである。少なくとも「手」ではない。手だけで何かしようとすると「小手先」になる。「本腰を入れ」て、「腰を据えて」やる必要があるんだろう。

 

ちなみに、手羽先はおいしい。揚げても煮ても、焼いてもおいしい。

 

それはさておき。

 

なので、新しくことを起こしたり、スタートさせたりするのがものすごく苦手だったり、億劫になることがある。じゃあ、一度始めたことを継続する力があるのかと問われると、それはまた話が別だ、ということにはなるけれど、それはまた別の話。

 

だから「こんなことやります」とか「これを始めます」と宣言するのが苦手だし、もっと言うと、出来れば宣言したくない。新しいことを始めたくないわけではないのだけれど、「言って出来なかったらどうしましょ」が先に立つ。言い換えると「絶対やる」という決意が足りないのかもしれないけれど。

 

ただ、そんな自分を客観的に見ていると「ひとまず、『やる』と決めてみるしかないんじゃね?」と思ったりもする。出来るか出来ないか、モノになるかならないかはわからないけれど、まずは「やる」と宣言してみる。その上で、やってみて「出来ました!」なのか「出来ませんでした!」なのかは、わからない。

 

でも、やると言わない限りは、物事は前に進まない。

 

「言ってるだけじゃダメじゃん」というのもある。もちろんある。けれど、まずは「言ってみる」ことも必要な時はあるかもしれないな、と思う。

 

人間、口に出すと、自分の脳にもインプットされる。人に対して言ったとすれば、その人も「この人はそれをするんだな」という認識が入る。勝負はそこからだ。やるか、やらないか。出来たか、出来ないか。あとはもう、やるしかない、になる。

 

言っただけでやらない、でも良いかもしれない。でも、ぼく個人としては言ったからにはやりたいな、がある。逆に言えば、だから宣言するのが恐ろしいというのもあるのかもしれないけれど。

 

でも、ひとまず自分の夢や、やりたいことや、目標や、目指す姿を宣言してみるというのは素晴らしい前進だ。そうすると、その姿と今の自分とのギャップが自然と見えてくる。どうしても、そこに直面せざるを得なくなる。

 

そうなれば、こっちのものだ。そのギャップを埋めにかかるしかない。出来るかどうかはわからなくても、やることはできる。出来ればもちろんそれが良いけれど、出来なくても、やることはできる。そして、「出来るまで続ける」ことは出来る。

 

まず、放つ。そこから始まることが、必ずある。

 

そして、手羽先はおいしい(クドい)。

 

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