オンラインと「間」について考えた
新型コロナウイルスの影響で、色々なことが変わったし、変えざるを得ない状況になってきている。
ぼくは幸いフリーランスで、WEBでも比較的仕事ができる環境にあるから、恵まれているなとも思っている。
コロナの影響で一番大きく変化したのは、オンラインミーティングの増加である。Zoomやその他のツールを使って、オンラインで様々な人と会い、話ができる。とても便利だし、今の時代には合っているのだろう。でも、時々「ん?」と思うことがある。
ぼくは決してコミュニケーション力(こみゅにけーしょんか、ではない。こみゅにけーしょんりょくと読んでほしい)が高い方ではない。ただ、話している相手の状態は意識しようと心掛けている。
でも、これがオンラインだと微妙にズレるというか、違って感じることがある。
この動画(本当に面白いので、ぜひ見てほしい。お笑いが好きでなくても、人と話をする職業の人は見て損はない)で、スピードワゴンの小沢さんは「『間』が違うから『間違い』なんだよ。おかしなことも、間が合ってたらそれはそれで面白いじゃん。結局、『間違った発言』ってのは、今じゃねえんだよな、って」と話す。
至極名言だと思う。人と人との会話で最も大切なのは「間」じゃないかとぼくは思っている。
この動画にも出てくるけれど、余計なことを考えた瞬間に、間が悪くなる。動画内で話されていることとはズレるけれど、ぼくが思うのは、どれだけ相手の空気感や状態を「考える」のではなく、察知できるか。言い方を変えれば感じることが出来るか。これが重要だと思っている。
失敗したり、噛んだりしたことで、結果として「間」が良くなったりする、ということもあるとこの動画内では話が出てくる。わかる。別にスラスラと立て板に水で話せることだけが、必ずしも重要なわけではない。
オンライン会議だと、この「間」を察知することが非常に難しくなる。物理的に場を共有していない人との会話は、どうしても「間」がズレる。電話のように、一対一ならまだしも、複数人数が一堂に会して話すような場面だと、どうしても間が取りにくく感じる。
人間は、言葉以外にも情報を発信している。息遣いだったり、表情だったり、むろんオンラインでも見えたり、気が付けたりするものはある。でも、なんとも言えない「空気感」や「雰囲気」みたいなものをオンラインで捉えるのは、ぼくはけっこう難しいなと思っている。
あるいは、それはぼくがオンライン慣れしていないアナログおじさん(略してアナおじ)だからかもしれない。ひょっとしたら今どきのデジタルチルドレンたち(そんな言葉あるのかは知らないが)は、そんなハードルをひょいひょい超えていくのかもしれない。それは、わからない。
聞いた話だけれど、オンライン会議が増えて、顧客からの要求がシビアになった、と感じる営業パーソンがいるそうである。ありそうな話だ。リアルでやり取りしていた時には相手の空気を慮っていたものが、オンラインになることで外れる、という可能性は大いにありそうな話だ。
何が言いたいかと言うと、オンライン会議で何でもリアルなものを代替できると思うなよ、とぼくは思っているということだ。オンラインには、オンラインの良さがある。それは認める。でも、100パーセントリアルの代わりになるとは、ぼくには思えない。
物理的に同じ空気を吸って、何なら(お皿は別々だとしても)同じ空間で食事をしたり、会話をする。それによって得られる情報量というのは、計り知れないほど大きい。オンライン会議、オンライン飲み会も大変結構だけれど、なんかこう、それだけでは人間としての「何か」が失われていくような気がしている。
ある意味、生物学的な「ヒト」を人間にしているもの。それは実は「間」なんじゃないだろうか。空間(ここにも「間」がある)を共にして、相手との「間」を測り合うからこそ、人間としての社会性みたいなものが育まれる。考え過ぎだろうか。
ま、こんな時代に乗り遅れたアナおじのボヤキだと思っていただければ幸いである。
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