心豊かに生きるために大切なことを、自分なりに考えた
ある日のこと。
と、書いてみて、いつもながらに陳腐な始まり方だねえ、と思うけれど、仕方がない。人生、陳腐な出来事もあるし、その方が良いことだってある。
毎日が満漢全席のような食生活だったとするならば、たぶんぼくとあなたの胃袋はパンクするか、消化不良を起こすだろう。
むしろ、ごはんとお味噌汁の中に、どう意味と幸せを感じるか。
ぼくはその方に力を注ぎたいと思っている。
話が壮大にズレたし、このまま終わっても良いかと思うほどエエこと書いてると思うのだが、先に進む。ああ、今日のブログも長くなりそうだ。
ある日のこと。ぼくは夢を見た。
また脱線するけれど、どうして寝ている間に見る映像(のようなもの)と、将来自分が叶えたい願望のことを同じ単語で表現するのだろうか。
自分の願望は、寝ている間に見るそれのように、現実味がなく、およそ実現しないものだと思われているから、だろうか。よくわからない。
とにかく。夢を見たのである。
それは、ぼくがかつて好きだった人(この場合、それが男性か女性か、恋愛対象かどうかはあまり関係がない。ちなみに、「だんせいかじょせいか」と打ったら「男性化助成課」と変換してきたぼくのパソコンは、とても優秀だと思う。
で、そのかつて好きだった人に、ぼくはなにがしか言っていた。
喚いていたようでもあるし、何かを懇願していたようでもある。ぶっちゃけた話、内容はよく覚えていない。とにかく、感情的になっていたことだけは思い出せる。
ぼくがこの夢から覚めて思ったのは、2つのことだった。
1)ぼくは相変わらず、そこに執着をしているのだなということ。
2)ぼくは感情を表に出したいのかもしれないということ。
何かに執着するのも、感情的になるのも、良くないことだと言われがちである。確かにそうだ。過ぎてしまったことに対していつまでも執着をするのも、常に感情をあらわにするのも見苦しい。
でも、人として生きる以上、そういうことがあっても良いんじゃないか、とぼくは思っている。
誤解しないでいただきたいのだけれど、執着した方が良いとか、執着がある方が良いとか、そういうことを言いたいわけではない。
何度も言うが、ぼくは良いも悪いもない、という地点から物を見たいと思っている。だから、執着についても同じことだ。
ただ、執着し続けることが苦しいことも良く知っている。ミスター執着心みたいなところがあるぼくだから、よけいそう思う。
だからこそ、執着している気持ちを認めたいと自分で思ったのである。
そうか。執着しているなら、今はそれで仕方ないわな、と。そこに善悪、良い悪いのレッテルを、ぼくは貼りたくない。ただ、好きか嫌いか、はあるかもしれない。
そういう物事に執着する自分が好きか嫌いか。
自分に問うてみると「気持ち悪い」ときた。なるほど。確かに。
二番目の感情についても同じことで、ぼくらにはどうしたって感情がある。般若心経では「五蘊皆空」、つまり目に見えたもの、触れたもの、感じたこと、思ったこと、諸々全ては「空」だと言っている。
「全て錯覚に過ぎない」という人もいる。確かにその通りだと思う。
一方で、ぼくらは錯覚の中でしか生きられない、というのも事実だ。どんな形にしろ、世の中を錯覚し、自分自身を錯覚し続けて生きるしかない。こりゃもう、しょうがないことだ。
だとするならば、その感情という錯覚をも味わって生きた方が、楽しくはないだろうか。
何を食っても「いや、味とかどうこう言うのってダサいんで」とか「それは錯覚なんで」と言って生きるより「うな丼うめー!エビチリうめー!」と味わい切った方が、楽しくはないか。ぼくはそっちを選びたい。
人間が生きてれば、楽しいことも悲しいことも苦しいことも、嬉しいことも嫌なことも恥ずかしいことも情けないこともある。大いにある。大いに結構である。
なぜそれを、自分の中だけで押し殺さなくてはいけないのか。
ただ、それがダダモレだと、周りはちょっと迷惑かもしれない。でも、自分の感情をしっかりと味わって、「ちょっと聞いてくれない?」と言える人がいる人生の方が豊かじゃない?とぼく自身は思う。
そして、そういう感情を聞かせてもらえる自分もまた、豊かだよねとぼくは思っている。
なので(強引にまとめに入る)、ぼくは執着しても良いし、感情を出していいと思っている。だから、ぼくもそういう人を認められる人でありたいと思っている。
「○○しなければならない」なんてことは、(ぼくは)世の中にないと思っている。だからこそ、もし、あなたが誰かにいま自分の中にある感情を解放したい、ぶちまけたいと思うならば、いつでも話を聞きたいと思っている。
別に、ぼくじゃなくてもいい。そういうことができる相手を見つけることが、あなたにとってとても大切なことじゃないか、とぼくは思っている。
感情も、きちんと味わっておかないと、わからなくなる。
そのために、自分の中で昇華するのはもちろん良いけれど、誰かに聞いてもらうのも、ぼくは良いんじゃない?と思っているわけだ。
ああ。うな丼食べたい(脈略なし)
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