頭の中に置いておくと役に立つ「問い」のこと

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「これさえ知っていれば、どうにでもなる」とか「これがわかれば、人生楽勝」みたいな、イージーな道をぼくは好まない。というか、好まないようになってきた。

 

昔は、そうではなかった。「これさえやれば上手くいく」とか「人生がうまくいくコツ」みたいなものを探し求めて生きていたような氣すらする。

 

「こうすれば、絶対にうまくいく」はないし、「こうでなければ成功しない」もない。逆に、やり方はいくらでもある。裏を返せば、どんなやり方だって、あって良い。

 

ぼくは基本的にむちゃくちゃな人なので、人に迷惑さえかけなければ(場合によっては、人に迷惑をかけたとしても)、どのように生きていっても構わないと思っている。それが、本当にその人がやりたいことであり、その人が「これだ!」と思えるのならば。

 

だから、「こうしないとダメだよ」、「こうしないと上手くいかないよ」とは、出来る限り言いたくないと思っている。だって、その人が「これだ!」と思ってやったことで上手くいけば、これ以上ハッピーなことはないと思うからだ。

 

ただ、「それは上手くいかないと思うよ」、「こうした方が良いんじゃない?」というアドバイスくらいはするかもしれない。でも、それが正しいかどうかもわからない、と思っている。

 

話が変わるようで、つながっている話をする。

 

先日、父の日だった。SNSでは、父親になった友人たちが子どもたちからもらったプレゼントを披露していた。単純にすげえな、と思う。ぼくが人の親になるなんて、どうにもこうにも想像がつかない。

 

子どもに対して何を言えば良いのか、皆目見当もつかない。「好きに生きろ」くらいのことしか言ってあげられないだろうと思う。無責任だと自分でも思う。でも、子どもの責任まで取ってやれるほど、ぼくの責任BOXは大きく出来ていないのだから仕方がない。

 

先生とも、話が合わないだろうなと思う。

 

「お宅のお子さんは落ち着きがないですね」と言われたら「何でアカンの?」と聞き返しかねない。落ち着きがないことが、なぜいけないのか。

 

子どもの時から落ち着いてるヤツもいれば、大人になったって落ち着かないヤツだっている。どうして落ち着いている=良いこと、のように言われなくてはいけないのか。

 

てな具合の持論(屁理屈とも言う)をまくしたてる可能性がある。そんな親を持った子どもがかわいそうだ。まああきらめろ。

 

話が壮大にそれた。

 

とにかく。物事が絶対に上手くいく、成功するための方程式なんてものはない、とぼくは思っている。成功の仕方なんて、それこそ人の数ほど、星の数ほどあるはずだ。正確に言えば、あってほしいと望んでいるのかもしれない。

 

ただ、敢えて一つだけ(43歳独身の)ぼくが、(今のところ存在しない)子どもに一つだけ伝えるとするならば、「何のために」かを常に意識したらどうか、と言うと思う。

 

何をするにせよ、「何のために」かを意識すると、物事の見方が変わる(氣がする)。

 

ゲームをするにしても「何のために」か。

友だちと遊ぶにしても「何のために」か。

 

どんな「何のために」でも構わない。その瞬間を楽しむため、ならば、全力で楽しみたまえ、と思う。その代わり、そこに楽しくない要素は1ミリたりとも入れないようにしたまえ、とも思う。だって、楽しむためにやってるのに、楽しくないのは望みに合わないからだ。

 

「ゲームが難しい」ことは「楽しくない」ことにはならない。簡単なゲームをいくらやっても、面白くないかもしれない。くそ簡単過ぎるゲームは、くそ難し過ぎるゲームと同じくらい、つまらない。

 

でもこれは、ひょっとすると大人の世界でも言えるかもしれない。

 

何のために会議をするのか。

何のために仕事をするのか。

何のためにパートナーを作り、

何のために結婚するのか。

 

そこには必ず、何かがあるはずだし、あった方が良いんじゃないか、と思う。これは、それをすることの「メリット」とか、そういうことを言いたいのではない。

 

例えば、お墓参りに行くのは、何か現世的なメリットがあるからではない、とぼくは思う。

 

ご先祖様や、亡くなった方々に想いを馳せることで、その人たちとつながるためだ、とぼくは思っている。それが何になる?と問われたら、ぼくの気分が良くなる、と答える。それ以上何がある。

 

酒を飲み、愚痴を言い合うのも結構である。その代わり、愚痴を言い合うために居酒屋に行ったからには、きちんと愚痴を言い切る必要がある。全て吐き出してスッキリしたら、また仕事に励めばいい。

 

仕事も、何のためにするのか。お金を稼ぐため?では、何のために稼ぐ?家族を養うため?なるほど。それも立派な理由だ。

 

ぼくがちょくちょく引用する『アンパンマンのマーチ』。一番の歌詞は、こうなっている。

 

なんのために 生まれて

なにをして 生きるのか

こたえられない なんて 

そんなのは いやだ

 

全く同感である。ぼくが作詞したわけではないが、どや!と言いたくなるほど、ど正論だし、真理を突いているとぼくは思う。ホントに名曲だと思う。

 

話が『アンパンマンのマーチ』に行きかねないので、早めに軌道修正する。

 

「人生は死ぬまでのヒマつぶし」という言葉もあるけれど、どうせ同じヒマつぶしならば、「何のために生きるのか」を見つけてヒマを潰したい。単に時間を浪費するだけ、だってもちろん構わない。そういう人生を私は好まないけれど。

 

決して壮大でなくても良いと思う。家族のために生きるのでも良いだろうし、自分を楽しませるために生きるのでも良い。愛する誰かのために生きるのだって、立派な「何のために」だ。

 

そんなことを、最近考える。

 

言ってみればぼくは「何のために星人」である。常に「何のために?」と思っているし、考えている。

 

もちろん、仕事をしなくちゃいけないのに昼寝をしてしまったり、ご飯の前にポテチを一袋平らげてしまったり、過ぎたことをくよくよ後悔したりして、「これは『何のために』だったのか・・・」と思うことも結構あるけれど。

 

「何のために?」という問いを自分のアタマの中で立てておくと、物事の取捨選択がクリアになるというか、基準が明確になるようにぼくは感じている。

 

だからと言って、みんなそうすべきだ!とは、ぼくは思わない。これはぼくの好みなだけである。そういう人とは、話が合うんじゃないかな、とは思う。

 

こう書いてくると、このブログは一体何のために書いているのか、と聞きたくなる人がいるかもしれない。それは、実はいくつかある。文章力を身に着けるためでもあるし、誰かに何かが届けるためでもある。

 

てなことを書いてみて、結局のところ、ぼくはこのブログを書くことを何しろ楽しみにしているのだな、と氣付いた。なので、何のためにかと言われたら「楽しむため」と答えると思う。

 

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