許すと、ゆるむ

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自分の想いとか、感情とか、最初にそういうものを「許す」ことが出来ると、ゆるむというか、ほどけていくというか、解けていく、という感覚を持っている。

 

「許す」とは、認めること。あるいは、責めないこと、とがめないこと。

 

人は色々な感情を持つことがある。色々な想念が浮かぶことがある。それは時に反社会的だったり、倫理的ではなかったり、あるいは自分の理想と違っている、ということもあるかもしれない。

 

例えば、妻子ある男性を好きになることもあるかもしれない。はたまた、その逆ってこともあるだろう。もしくは、パートナーのことがどうしても邪魔に感じたり、消えてくれたらいいのにと思うこともあるかもしれない。はたまた、夜中の1時だというのに、どうしてもあんまん(しかもゴマあん)が食べたくなることもあるだろう。

 

ネガティブな気持ちになることもあるだろうし、不安にさいなまれることもあるだろう。人を心の底から憎んだり、うらやんだりすることもある。怒りに我を忘れることもある。

 

そんな時、そういう感情や想念を、「許せない」、「許さない」としたら。きっと苦しいし、心が固くなるんじゃないかな、と思う。「こう思ってはいけない」、「こんなことを考えてはいけない」、「あんまんではなく肉まんを食べるべきだ」、「人を嫌ってはいけない」、「ネガティブな波動はネガティブなものを引き寄せる」、「人を呪わば穴二つ」・・・。もちろん、そうかもしれない。そして、あなたの理想はきっと、そこにはない。

 

でも、そう思ってしまうこと、そう感じてしまうことを、一度許してあげる必要はあるんだろう、と思う。

 

なぜならば、そうしないと、ゆるまないからだ。「こうすべきだ」、「こうすべきではない」という考えに囚われていると、硬直してくる。別に硬直していることが悪いことではないけれど、硬直しているものは、折れやすい。あなたの心も、「~べき」に囚われ過ぎていると、いつかポッキリと折れてしまう。

 

だから、本当にそれを選ぶかどうかはひとまず置いておくとしても、そう思うこと、そう感じることは許してあげてほしいと思う。それができるのは、実は、自分自身しかいない。

 

他の人がいくら「良いんだよ、あんまんとピザまんの両方を食べても良いんだよ」と言っても、自分で自分の感情を許さなければ、意味がない。自分で自分を許して、緩めて、認めてあげると、自然と開けてくる。

 

「ゆるい」ということは、開いているということである。徐々にゆるんでいると、心の奥にある「本当の何か」に触れやすくなる。

 

これはある人から聞いた話なのだけれど、自分が持っている感情、想念の下に、本当の理想、希望がある。でも、まず感情・想念を認めてあげないと、そこを見に行くことが出来ないのだという。本当にその通りだと思う。

 

こんなことを考えていたら、「許す」と「ゆるむ」は、同じ語源だということを知った。「ゆるい」状態は、相手も自分も許せている。「それでいいよ」と、認められている。

 

「許可する」とは、「許容し、可能にする」ことだと、誰かが言っていた。なるほど、そういう考え方もあるか、と思う。許すと、可能にできる。なぜなら、「そうなって良いよ」と認めているから。でもある意味「そうならなくても良いんだよ」とすら認めている感がある。それが「許すこと」の強さだと思う。

 

「許す」には、優しさがある。懐の深さがある。自分自身を許すと、ゆるむ。そこから、本当の理想を見に行く。そんなことが必要なんじゃないかと、ぼくは思っている。

 

さて。ぼくがこの記事を書いている今、時計は午前1時30分を指している。・・・ちょっとコンビニに行って、あんまんを買ってくるので、今回はこの辺で。

 

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