微差は大差、という話
ぼくが所属している『楽読』という速読スクールのそばには、某有名コーヒーチェーン店(ス○バ)が3つもある。
ちなみに、ぼくが住んでいる東京都江戸川区には、区内に2店舗しかない。もう一度言う。「区内に」2店舗のみ、である。なんじゃこの格差(笑)。
ちなみに、うちから歩いていける距離にドーナツ氏(ミ○ド)は2店舗ある。どうにもこうにも不思議なバランスではある。
ま、良いんだけど。
で、先日のこと。スクール近くのス○バA店に行って、ちょっと複雑な注文をした(ってほどじゃないんだけど。ガールフレンドに教えてもらったカスタマイズを注文してみた)ところ、店員さんが「このカスタマイズ、何度かされてるんですか?」と聞いてきた。
「いや、教えてもらって」と返すと「これ、おいしいですよねー」と笑顔で言っていた。
また別のス○バB店に行って、これまた別のものを注文した。これは別に普通の注文。
でも、何とは言えないんだけど、このお店にまた来たい、と思わなかった自分を発見した。スクールからの距離はA店もB店もさほど変わらない。違うものを注文しているので、味が云々、ということが言いたいわけでもない。
A店もB店も、おそらく普通にマニュアル通りに接客をしてくれたはずである。でも、ぼくはA店にはまた行きたいなと思ったけれど、B店はまあいいか、と思った。その違いは何だったのか。
それは、言わずもがな、店員さんの対応だったんだろうと思う。別にB店の店員さんの接客が悪かったとか、ひどかったとかではない。とても普通に対応してくれたし、何か落ち度があった、とかそういうことでもない。
なので、これは何なんだろう?とぼくなりにも色々考えてはみているのだけれど、よくわからない。ただ、その人が出している雰囲気みたいなもの、というのはあるんだろうなと思う。
A店の人は、「あー、ここで働くのが好きだし、楽しいんだろうな」という雰囲気を感じた。B店の方がそうではないとは言わないけれど、何か違うものをぼくは感じたんだろう、と思う。
人間は条件だけで動くわけではないし、商品の良しあしだけで店や何を買うかを選ぶわけでもない。「これをこうすればファンが作れる」なんていうセミナーもありそうだけど、ぼくはそういうことじゃないんじゃない?と思っている。
自分がどれだけ、自分がやっていることに没頭できて、楽しめていて、心の底から「これ、いいですよ」と言えるか。自分が楽しんでいる人の周りには、楽しい人が当然集まる。そうすれば、楽しい場ができる。
ぼくはある人から「虫でもなんでも、明るいところに集まるんだよ」と言われたことがある。確かに!と思った。暗いところにわざわざ集まりたがる人はいない。吸血鬼くらいなもんだろう。人は明るいところに集まる。
とするならば、自分が明るくいた方が、明るい人も集まり、場も明るくなる。愚痴や不平不満が悪いとは言わないし、ぼくは言った方が良いと思うタイプだけれど、出したら切り替えた方が絶対に良い。愚痴や不平不満は出さないと腐るけれど、いつまでも引っ張られていると、段々そっちに偏っていく。
ネガティブな感情は決して悪いものじゃない。でも、ネガティブな感情ほど、取り扱いが難しいものもない、とぼくは思っている。上手に扱わないと、とんでもないモンスターを生み出してしまったりする。そして、自分の手に負えなくなったりすることも。
あと、ちょっとしたこと、一瞬の差が、「また来よう」になるのか「もういいか」になるのかの違いなんだなあ、と身をもって体感した。
ホントに、どうってことないほどの差、あるいは「差」ですらないのかもしれない。単なる僕の虫の居所、だけなのかもしれない。でも、それをどう察知するか、で色々変わってくるんだろう。
人間難しい。
=====
編集プロダクション、出版社、企業広報など
文章を書いて20年のプロが、
あなたの話を聞いて
「想い」を文章にします。
ご依頼、お問い合わせはこちらから
=====
あなたが解決したいお悩みやテーマを聞いて、
あなたの中にしかない「答え」を
一緒に見つけに行くセッション、承ります。
=====
本当のあなたの可能性に出会う、
人生を楽に楽しく先読みする速読
『楽読』の体験会は↓↓こちら↓↓から
https://rth.co.jp/school/single-school.html?schoolId=6