数字について

 太った。

 

自分がベストだと思っている体重ははるかに超え、自分の中で「大台」と思っているラインをも、いつの間にか超えていた。

 

いまの私の家には、体重計というものが存在しない。なぜか。必要がないからである。ぼくは自分の体重を毎日計って、増えたの減ったのとやるつもりは今のところ一切ないので、体重計は数年前に手放した。

 

ちなみに、我が家にはテレビもない。ラジオも、ラジオという形ではない。車も持ってない。このままでいくと、どんどんオラ東京さ行ぐ感じになってしまうので、この辺でやめておく。

 

この間、たまたま温泉というか、銭湯に行く機会があって、たまには計ってみっかと思ったら、夢の大台越えを果たしてしまっていたのである。ショックである。まあいいんだけど。

 

ぼくが「まあいいんだけど」と言ったり書いたりしているときは、ほぼ9分9厘「よくはない」と思っている、ということに(我ながら)最近気が付いた。面白いもんである。まあいいんだけど。

 

数字というのは、便利なものである。

 

見せられる前は、特になんとも思っていなかったのに、体重:○キロ、という数字で見せられると、なんだかそういえば最近、胴回りが気になってたんだよねとか、そういえば確かに身体が重たいような気がしてたんだわとか、そういう意識になる。自ずと、少しでも体重を落とそうか、みたいな気持ちにもなる。

 

が、だ。数字は便利であると同時に恐ろしいもの、でもある。そもそも、私がさっき「ベスト体重を超えた」と書いたけれど、私が「ベスト」だと思っている体重が、そもそもベストかどうかもわからない。

 

一般的な40代男性、事務職の体重はこのくらいですよ、という平均値だったり、一般的な理想体重ははじき出すことができるだろうけれど、本当にそれがその人にとっての「ベスト」かどうかはわからない。

 

ホンジャマカの石塚さんが激やせしたら、周りは「大丈夫っすか」と聞くだろう。今の状態ももちろん多少心配だけれど、激やせしたら激やせしたで「何かあったのか?」と思うはずだ。石塚さんについて言えば、相方さんが激やせしたことはあったな、そう言えば。まあいいんだけど。

 

数字は明確な分、どうしてもそれに囚われるし、振り回されやすい。だからこそ、その数字の裏側(なぜその数字なのか、その数字を目指す根拠は何か)を自分の中で持っておかないと、と思う。

 

数字は明確だ。だからその分、おっかない。そういう認識をしておいた方が良い、とぼくは思っている。上手に使う、上手に付き合うことが必要だと思っている。それは、言葉についても一緒なんだけど。

 

とかなんとか言いながら、ぼくは今日も体重計に乗らないし、ドーナツを2個食べている。

 

そら太るわ。まあいいんだけど。

 

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