文章を書くことについて、ぼくが考えたこと
ぼくが誰かに何かをエラソーに語れることなんて、この世に一つもないけれど、一応、20年以上プロとして文章を書く仕事をしてきた(し、今もしている)立場から、文章の書き方については多少お話しできることがあるかもしれない、と思っている。
と書いてみて、ぼくが添削する側として冒頭の一文を見たら、たぶんくっそみそに言ってるだろうな、と思った。ま、人間、自分を客観的に見ることは極めて難しい。
ぼくが文章を書く上で最も大切だと思っていること。
それは、「何のために書くのかを明確にすること。そしてそこから離れないこと」。
これである。
つい見落としてしまうことがあるけれど、全ての文章には「目的」がある。いや、ごくまれに、何の目的もない文章というものもなくはないけれど、人の目に触れた瞬間、それは何らかの「目的」を持つものとして機能「してしまう」と思っておいた方が良い。
ある日、商店街をぶらぶら歩いていたら、シャッターにこんな張り紙があった。
「ここに自転車を置くな! 見つけたらぶっ壊す」
なかなか、スパイシーな一文ではある。
写メ(今どき、写真をメールで送ることなんて皆無になってきたのに、つい写メって言ってしまうのはなんなんでしょうね)でも撮っておけばよかったのだけれど、そこはひとまずいい。
で、この一文の目的は「自転車を置かれないようにする」ことである。
ここに自転車を置いてほしくない、ということは、文章を見れば明白である。あとは、書いた人間が激怒りしていることも、まあ伝わってくる。
一方で、「この店の店主はちょっとヤバめかもしれない」という印象を読み手に抱かせる可能性もある。これ自転車の放置がなくなればいいが、ぼくくらいどうかしている性格だと、本当にぶっ壊されるのか、むしろ試しに置いてみたくなるのはなんなんだろうか。
文章は特に、自分から離れてその意味やメッセージを伝える機能もあるから、書き方、伝わり方を十分に注意する必要がある、とぼくは思っている。
誰かに何かを伝えたい、伝えた結果、応えてほしいという文面を書くときには、なおのこと注意が必要だろう、と思う。
別にぼくも「文章で売り上げが100倍になりました!」とか「この文章だけで売れて売れてウハウハです!」とか、「この文章のおかげで、モテモテです!」とか、そういう経験があるわけではないのだけれど、おそらくそうだろう、という話で書く。
文章を書いて何かモノやサービスを売りたい、集客をしたい、という人は、自分は今からラブレターを書こうとしているのだ、と思ったらいいと思う。
例えば、女性が「愛してます」という文面を星野源からもらうのと、誰かもよくわからない人からもらうのとでは、対応も違ってくるだろう。
いくら「これは良いものですよ」とか「これは素晴らしいよ」と言ったとしても、「アンタ誰?」の時点で、その言葉の効果は半分以下になる。
別に、これは有名人にならないと意味がない、ということではない。そうではなくて「関係を構築せよ」ということが言いたい。
最初は別に気にも留めていなかったのに、その人となりや考え方に触れることで、次第に惹かれていく・・・なんてラブストーリーは売るほどある。しらんけど。
だから、文章を通じて何かを得たいと思っている人は、まず「あなたは何者なのか」を知ってもらうことに力を注ぐべきだ、とぼくは思っている。
そうでないと、同じクラスに(確か)いた、陰キャの男から気持ち悪いラブレターもらった・・・みたいな印象を、潜在顧客に与えてしまうことになる。
その上で、「何が目的なのか」、「相手にどう思ってほしいか」、「どう動いてほしいか」を意識する。これが、文章を書く人にとっては、絶対的に必要な意識だと、ぼくは思っている。
・・・このブログの目的?そういう細かいことは、聞かないでいただきたい。このブログに目的などない、と、さっき書いたことと真逆のことを書きつつ、この記事を終えていく。
文章の書き方について、気が向いたらまた書くかもしれない。気が向いたら、聞きたいこととか、質問とかいただけたら嬉しい。気が向いたら答える。
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