名前、特に人名について

誤字脱字にものすごく敏感な人と、ものすごく鈍感な人がいる。

 

いつも繰り返し言うけれど、良い悪いの話ではない。どちらかと言えば、好みの問題である。

 

ぼくがついつい気になるのは、人の名前を間違える人、である。特に漢字。ぼく自身が「あべ」という、割と漢字のバリエーションに富んだ苗字なだけに、間違えられやすいから、というのはあると思う。

 

「阿部」を「安部」と書かれると「公房ちゃうわ」と思うし、「阿倍」と書かれたら「倍にすんな」と思う。「安倍」と書かれたら「そんな激安王みたいな名前じゃないぜ」と思う。だって、安くて倍だぜ(全国の安倍さんすいません)。そもそも、安倍さんに至っては、音だけで原型を留めていない。

 

まあ、そんなことで目くじら立てるなよ、と思われるかもしれないが、気になってしまうものは気になる。

 

だから、他人様の名前の間違いも時々気になってしまう。たまに間違えるくらいは、ぼくだってあるし、まあ、打ち間違えだよねと思うけれど、それが度々あると「この人、ヒトに興味がないんだろうな」とまで思ってしまう。

 

名前を間違えたくらいで大げさな、と思うかもしれないが、ぼくは名前の漢字を間違える、というのはそのくらいのことだと(勝手に、だが)受け止めている。「阿部」さんが「安倍」さんと書いてしまうと全く別のものだ。わかりやすく言えば、「安倍晋三」さんはあの人だけれど、「阿部信蔵」さんは、もはや誰でもないというか、全くの別人になってしまう。

 

一文字うっかり間違えたりすることは、ぼくにもある。ただ、あんまりその間違いが頻発する人を見ると、ついつい「あ、他人に興味がないんだろうな」と判断してしまうのだ。

 

名前なんて何でもいい、と思うかもしれないが、その名前は親が(あるいは関係者が)真剣に考えて、その人のためにつけてくれたものである。言ってみれば、その人への一番最初の、そして一生続く贈り物であるとも言える。そして、我々はその「名前」で、AさんとBさんを識別するし、呼び分ける。

 

ぼくは、名前はとっても大切なものだと捉えている。だから、出来るだけ漢字を間違えたりしないように意識したいと思っている。

 

ぼく自身、昔は自分の名前があまり好きではなかった。漢字で書くとだいたい読まれなかったし(どう読んで良いかわからないのだ)、なにしろ濁点が多すぎる、と思っていた。

 

思春期に小説を書いたりするにあたって、ペンネームを作ってみたこともあったけれど、いまいちしっくりこなかった。小説家としての自分、みたいなものを創り上げるには良かったのかもしれないけれど、ぼくにはあまり「名前を変えて生きる」ということがしっくりこなかった。

 

デスノートでもあれだろ?偽名書かれても死なないだろう。あれと一緒だよ(一緒じゃない)。

 

今は、両親がつけてくれた名前を大変気に入っている。さすがに読みにくいから、仕事上はオールひらがなで活動はしているけれど、両親がぼくに送ってくれた名前というギフトを、ありがたく使って今も生きている。

 

人間、変われば変わるものだ。

 

もちろんたまに(いや、しょっちゅう)「ほら、あの人だよあの人、あー、アレアレ、ナントカさん」と名前が出てこなくなる時もあるけれど、ぼくは自分の名前も、人の名前も大切にして生きていきたいなと思っている。

 

ところで、目くじらってどんなクジラ?

 

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