自分を認める話
ぼくのある尊敬する人から、こんな話を聞いた。
いつものごとく、ぼくはその人の言葉をニュアンスで覚えている。なので当人からすると、ひょっとしたら「そんなこと言ったっけ」と思うかもしれない。まあ、僕はこう受け取ったよ、というお話である。
どんな話かと言うと「自分に自信がない」ことと、「傲慢である」ことは、実は表裏一体だったりする、という話である。
表現を変えると、自分の長所も短所もひっくるめて、ある程度正しく把握でき、認められるようになると、過度に自信が持てないことが減る。それと同時に、過度に偉そうになったり、傲慢になることもなくなる、というのだ。
自分のことを100%、完全に正しく把握することは、恐らく人間である以上難しい。
でも、自分のことや性格、才能、強みや弱み、そういったものをある程度(ある程度、で構わないとぼくは思っている)正確に把握できると、過度に自信がない状態も、過度に自信がありすぎる状態にもならないというのである。
確かに、それは何となくわかるような気がする。
過度に自信がない状態というのは、何をやっても「自分なんて・・・」と思ってしまう。バッターボックスに入る前に、バットを持たずにベンチで戦況を眺めているようなものである。
一方で、過度に自信がある、偉そうな状態というのも、実は自分のことをきちんと把握できていない状態である可能性が高い。
すごく端的に言えば「虚勢を張っている」状態とも言えるかもしれない。
そうしないと、自分というものを保てないから、必要以上に自信があるように見せたり、偉そうにしてしまったりする。
これ、ぼくは両方経験しているな、と思っている。過度に自信がない状態は、それはそれで実は案外楽ちんである。だって、自分の能力や出来ることを引っ込めて、ただその場にいるだけなので、ある意味絵で描かれた群衆の背景と変わらない。
一方で、自分の能力を自分で認めていない状態だと、「誰かに認めてもらいたい」、「誰かに認めてほしい」、「誰かに認めさせたい」が発動する。
これも厄介だ。こういう状態になると、求められてもいないのに、自分の力を発揮しよう、発揮したい、見せたいという変な欲が生まれる。
それによって、過度の自信が生じたり、力を見せつけようと、おかしなデモンストレーションが始まったりする。
どちらも、決して良い状態とは言い難い。
どうしたら良いか。結論、自分のことをある程度正確に自分で認識するしかないんだろう。そのためには、やっぱり結局、人の話を聞くしかないんじゃないか、とぼくは思う。
もちろん、インナーチャイルドを癒したり、ハイヤーセルフからのお言葉をいただいてみたり、サイキックアタックを回避してみたり、サイコメトラーEIJIだったり、コンバトラーVだったり、アダモステだったりという対策はあるかもしれないけれど、結局のところ、自分で自分をきちんと認めて、「そういうもんだよね」と納得するしかないんだろう、とぼくは思っている。
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