「楽しくないからやらない」の限界
「楽しい方を選ぶ」とか「苦しかったらやめる」という物事の進め方、というか、スピリチュアル業界(なのかな)の教えがあると思うのだけれど、ぼくは実は、必ずしもそうでもないかもね、と思っている。
ある人と話していて聞いたのだけれども、その人は「新しいことを始める時は99%以上怖いけれども、『怖いからやめる』という選択肢は自分の中にない」という話をしていた。
もう少し踏み込むと「『怖いからやめる』という時点で、そこまでやりたいことでもなかったということだから、やらなくて良かったんだなと思う」のだそうだ。
「本当にやりたいこと」、あるいは「やらないと死んでも死にきれないこと」にトライしようとしたとき、「楽しくない」とか「苦しい」という感情が生まれてきたとする。
あ、これは天からのメッセージだから、もうこれはやめよう、と思ってやめられるならば、その程度のことだ、ということである。
これ、さらっと書いてるけど、めちゃくちゃ厳しい。これがもし、自己啓発本だったら絶対売れないだろうなと思って書いている。ぼくだったら、こんなことが書いてある自己啓発本は絶対に買わない。でも、たぶん真理である。
例えば、あなたが大好きな彼女がいるとして、彼女が悪の大魔王にさらわれてしまって、キノコやカメなどの刺客をなぎ倒しつつ相手の城に乗り込もうという時に、「やりたくない」という感情が湧いてきたとしたら、あなたはどうするだろうか。
いや、「やりたくないから行かない」という選択が悪いとは決して言わない。ただ、まあ多くの人は土管を潜り抜けたり、口ひげをたくわえたりしつつもクッパの城に果敢に乗り込んでいくはずである。
ここまで書いてきたことを、ものすごく極端に振ると、「自分の感情なんてどうでもいい」ということにもなる。
常々、当ブログでは「自分の感情はヒントだ」と言ってきた。それは、間違いではないと思っている。ただ、本当に自分がトライしたいことの前では、実は「楽しい」か「楽しくないか」とか「辛い」か「辛くないか」なんてのは、どうでもよくなるかもしれないという可能性について書いている。
繰り返しになるけれど、自分の感情で「やめよっかな」と思う程度のことは、実はあなたにとってそこまでは重要ではないこと、かもしれない。
やりたくはない。でも、そのことがどうしてもあきらめきれない。そんなことがあるのだとしたら、ひょっとしたら、その「やりたくない」は過去の経験とか、思い込みとか、そういうものが影響しているだけ、かもしれない。
「やりたくない」と思っても、やってみたら案外楽しいかもしれないし、できるようになることに喜びを見いだせるかもしれない。
やってみる前に「楽しくないからやらない」というのは、自分の可能性を自分で閉じてしまっているかもしれない。
もちろん、別にそれでもかまわない。ただ、「なーんか、気になるんだよね」というものがあるならば、楽しいの楽しくないのといった自分の感情は置いといて、飛び込んでみるのも良いんじゃない?と思ったりはする。
大丈夫。人間、そんなに簡単に死なない。
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