制限と創造性の美しき関係

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この間、自分が好きなスポーツについて話す機会あった。自分が好きなスポーツについて話すのももちろん楽しいけれど、人が好きなスポーツについて話しているのを聞くのも楽しい。

 

そこで気が付いたのだけれど、ある種の「枠」があるからこそ、物事は面白くなるし、創造性が生まれるんじゃないか、と思った。

 

例えば、サッカー。「足でも手でもいいので、とにかく相手のチームのゴールにボールを押し込んだら1点」みたいなスポーツであったなら、果たしてここまで世界的な人気を博するものになっただろうか。

 

ラグビーは、「前にボールを投げる」ことができない。ので、隊列を組んで後ろにボールを渡しつつ、徐々に前線を押し上げていくということになる。もしくは、パントキックで距離を稼いだりはあるけれど。だからこそ、チームプレーだったり、戦術が生まれた。

 

野球。これほど枠の多いスポーツもあるまい。あんなに小さいボールを、あんな細いバットでぶっ叩いて遠くへ飛ばすわけである。で、バッターボックスに入るまで、ピッチャーは律義にボールを投げないでいる。ある意味様式美のようなスポーツでもある。

 

スポーツは枠がある方が面白いのではないか?と思い始めたのは、実は格闘技を見ていて、だったりする。

 

格闘技なんて「なんでもあり」の方が面白そうな気がするけれど、いわゆる「総合格闘技」と呼ばれる立ち技、寝技何でもありのルールよりも、世の中一般的にはボクシングの方が広く知れ渡っているし、人気もある。

 

何でもありの方が面白いならば、総合格闘技の方が世界的な人気を博してもよさそうなもの(もちろん、歴史的な背景等々はあるかもしれないが)だけれど、そうなっていないのは、ボクシングという実に制限の多いスポーツの方が面白いから、じゃないかと仮説を立てたのである。

 

あとは相撲だな、相撲。あれは「スポーツ」というべきか、「神事」というべきか、なんとも難しいけれど。グーパンチなし、関節技なし、寝技なし、蹴りも(一応)なし。つっぱりと、回しを持って相手を土俵から出すか、転がすかで勝敗を決めるという、なんとも不思議な競技。あれも面白い。

 

何が言いたいかというと、ぼくらはついつい「枠」言い換えれば「壁」や「障害」に直面すると「〇〇だから、無理、できない」と思い込んでしまう。でも、本当にそうだろうか。

 

足しか使えないからこそ、前にボールを投げられないからこそ、グーでぶん殴れないからこそ、まわししかつかむところがないからこそ、「どうしたら上手く行くか?」「どういうやり方がいいのか?」という知恵やアイデアが生まれたのではなかろうか。

 

制限があるからこそ、創造性が刺激された、とも言えるかもしれない。

 

でもそれは「その制限に従わなくてはならない」というものではない。「その制限を乗り越えて、どうしたら自分の理想を実現できるか?」と考えるためにある、とも思える。

 

もちろん、どっちを採用しても構わない。でもぼくは、制限があるからこそ、さらなる創造性が発揮できる、という考え方を採用したいと思っている。

 

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