自分を認めると、客観視できる

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自分で自分のことを認めるのは、なかなか難しい。

 

これは2タイプあって。

 

1つめのタイプは「自分の良いところを認められない型」。いくら周りが「こういうところがステキ」、「こういう点が素晴らしい」、「ここが長所」と本人に伝えても「いや、そんなことないっス」と認めないというパターン。

 

2つめのタイプは「自分の悪いところを認められない型」。自分で自分の短所、良くないところ、出来てないところを認められないというパターン。これもある。

 

この2パターン、実は根底にあるものは割と似ている。ものすごくざっくり言えば「人の話を聞いてない」ということ。

 

自分の良いところを認められないということは、他の人がどれだけ「あなたのこういう点は素晴らしいよ」と言っても、「いや、自分はそう思わない」と認めていない。つまり、自分の基準で判断している。

 

逆に、自分の悪いところを認められないというのも、「自分はダメじゃない、悪くない」と思いたいという自分の基準で判断をしている。

 

実はどちらも、認めてしまった方が早いし、楽だったりする。

 

自分ではそうは思わないけれど、人が褒めてくれたり、評価してくれるのならば、それは認めて受け取った方がいい。そうすると、その長所をどう生かそうか、どう世の中のために使おうか、という視点で物事を考えられるようになる。

 

もし、自分の才能や長所を生かしたいと思うのならば、自分だけで自分の長所を考えるより、人に聞いた方が絶対に良い。なぜなら、自分のことは自分ではわからないものだからである。

 

同様に、自分の悪いところ、もっと伸びるところも自分ではなかなか認められない。それなりにできてきた人、やってきた自信がある人は特に、自分の短所を認めるのがとても苦手なんじゃないか。

 

自分で自分のことを認められると、楽になるし、力が抜ける。認められていない状態だと、どうしても力が入る。別に力が入っていても良いのだけれど、だいたいの場合、力を抜いたほうが物事はスッと進むし、上手くいく。

 

良く例えに出すけれど、野球のバッターは一流になればなるほど無駄な力が入っていない。イチローさんなんかを見ると顕著だけれど、かなり自然体に近い状態でバッターボックスに入っているんだろうと思う。だから、どんなボールにも柔軟に対応できる。

 

「あ、自分ってこういうところあるな」とか「そうか、自分は人からはこう見られているのか」とか「こういうことって人のお役に立つのか」と認められるようになると、力が抜けるし、自分を客観的に見ることが出来る。

 

そうなると、ある意味自分を「どう使うか」が見えてくる。できないことを頑張ってみたり、できるのに謙遜や自信のなさからやらなかったり、ということが減っていく。

 

こんなことを書いていると、「さぞかしあなたは自分をお認めになられてるんでしょうね」という言葉やメッセージ(または念)が飛んできそうなので先に言うけれど、ぼくは全くもって自分を認めることなんぞできていない。自分の良いところにしろ、悪いところにしろ、である。

 

長所に関しては、やはり照れもある。謙虚でありたいという欲もある。


短所に関して言えば、出来ればいい人間でいたいという希望もあるし、嫌われたくないも発動する。人から指摘されてイラっとする、も、もちろんある。これは人間だからしゃーない。

 

が、周りは別に「こういうところあるよね」と言ってくれてるだけかもしれない。「耳二つ付いてるよね」とか「一重だよね」的特徴を伝えてくれているだけかもしれない。それを「ホメられた」も「ケナされた」もない。あなたの特徴でしかない。

 

もう少し話を進めれば、そう思っているのは相手であって、本当に自分がそうかどうか、とはまた違う話でもある。でも、少なくとも相手からはそう見えているわけで、それは受け入れた方が主観と客観は一致させやすい。

 

自分はそんなつもりはなくても、相手から「テメー生意気なんだよ」と言われたら、「おお、この態度は生意気に見えるのか」と自分にフィードバックしてみる。そこから、どうしたいかは選べる。

 

生意気に見えない方が良ければ、そう見えない対応をするし、自分は別に変える必要がないと思えば、それで通せばいい。ただ、いったん自分にフィードバックすることは必要なんじゃないか、と思う。

 

そうすることで、より自分という生き物の輪郭が見えてくる。「あ、こう見えてるんだ」とか「へえ、こう思われてるんだ」がわかってくると、自分の取り扱い方もわかってくる。

 

ちなみに、これは「人の言われた通りに生きる」のとは違う。人からの見え方を聞いて、自分で分析して、自分がどうしたいかは自分で選べばいい。

 

生意気だろうが、気が利かなかろうが、おっさんの割に仕上がりがイマイチだろうが、自分のことしか考えていなかろうが、「それでもまあいいか」と思えれば、それでいい。でも、それじゃいやだと思うから、自分を変えよう、何か変わろうとするんだろう。

 

あ、ちなみにここに上がってきたコメントは、誰かのことを私が書いているのではなく、むしろ全て私がいただいたもの(抜粋)です。こう見てみると、まあまあひどい。

 

いやそれは言ってくれた人がひどいんではなく、自分自身がひどいんである。その自覚だけはある。

 

なので、何度でも言うが、私もチャレンジ中である。

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