ネガティブな感情が抑えられないあなたへ

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今回は、ちょっと弱音というか、愚痴を吐かせていただきたい。うん、「断る」と言われても書くので、実質的にあなたに選択肢はないのだけれど。

 

もう、正直言って疲れたし、シンドイし、お腹がすいて力は出ないし、顔が濡れても力が出ないし、Jのオジキは口うるさいし、バタコはなんか空気読めないし、食パン野郎はスカしてるし、カレーパンはバカだし、天丼の連中はパリピで気が合わない。

 

うむ。後半、なぜかアンパンマンの愚痴になってしまったけれど、勘弁してほしい(どうしてそうなった)。ちなみにぼくはアンパンマンではない(カレーマンであることは先日カミングアウトした次第である)。

 

「弱音を吐く」、「愚痴をこぼす」というのは、一般的に良くないこと、忌むべきことのように捉えられている。

 

「前向きな言葉を発しましょう」、「弱音を吐いてはいけません」、「愚痴を言うと波動が下がります」といった類の話を耳にしたことがある人は多いんじゃないかな、と思う。

 

ぼくも、一定その意見には賛成である。

 

でも、全面的には賛同しかねる部分もある。なぜか。人間というのは、そういう感情が生まれてくるようにできているんじゃないか、とぼくは思っているからである。

 

常に前向きで明るく、元気で、弱音も吐かず、愚痴もこぼさず、一日二杯の酒を飲み、肴は特にこだわらず、マイクが来たなら微笑んで十八番(水木一郎の『マジンガーZ』の主題歌)をひとつ歌うだけ、なんていうことを続けられるのは、なかなかに至難の業だと思うのだ。

 

終盤、急速に時代遅れの男感が増したのは、おそらく気のせいである。時代遅れの男は、「マジンゴー、マジンゴー、マジンガーーーー」など歌ったりはしない(偏見)。

 

何が言いたいかというと、ネガティブな感情や想いも、ある意味認めてあげないと、どこかで自分が破綻するんじゃないか、とぼくは考えている、ということだ。

 

あ、根っからポジティブな人は、別にこの話を聞く必要はない。そっと画面を閉じて、「アゲアゲで~」とか言いつつクラブに繰り出したり、「てーんてんどーんどーんてーんどーんどーん」などと、はしで自分のアタマの器を叩きながら歌い踊り狂っていただければよろしい。

 

根がネガティブな人が「弱音を吐いてはいけない」的フレーズに直面すると、だいたいそれを素直に実行しようとする。そもそも、根がネガの人は、だいたいが真面目だ。だから、大真面目に取り組もうとする。そして、自分がつらくなったりする。

 

そもそも、根がポジの人の「弱音を吐かない」と、根がネガの人の「弱音を吐かない」は、質が違う。

 

根がポジの人は「弱音」という回路につながらない。何が起きても、「ハッピーーー!!!」と受け取れる。こりゃもう、天性の才能と呼ぶべきものだと思う。

 

ぼくを含めた、根がネガの実を食べた能力者たちは(無理して流行りに乗ろうとして失敗するパターン)、何かあると、下手すりゃ何もなくても「弱音」につながる。

 

晴れてれば、暑くてつらい。雨なら、湿度が高くてつらい。優しくされると、ウラがあるんじゃないかと思ってつらいし、冷たくされると悲しくてつらい。

 

どないせいっちゅうねん。

 

だからこそ、ぼくは何度も言うけれど、ネガティブな感情、つらい、苦しい、逃げ出したい気持ちを一度きちんと認める必要があると思っている。

 

ああ、ぼくは今、これに関して嫌だと思っているんだな、つらいんだな、苦しいんだなと認める。その上で、どうしたいかを決めた方が良い。

 

「弱音を吐きたい」と思ったら、それを出せる相手を探した方が良いし、「そうじゃなくて、これは自分の中で解決したい」と思えば、そうするのがぼくは良いと思う。

 

ヘタに弱音やネガティブな感情を抑えようとすると、自分の心のセンサーがおかしくなる。あるいは、もっとつらくなる。

 

だって、「つらい」と思ってるのに「いや、つらくない」と自分がその想いを否定してしまったら、一体誰があなたのその想いを認めてくれるのだろうか。

 

と、ぼくは常々思っている。

 

自分で自分のネガティブな感情を認められたら、まずは少し楽になる。そこから、そのままその感情にどっぷりと浸かりたいか、あるいは、少しでも明るい方向へ自分を向けたいか。それは選べる。

 

この世の中に、ダメなことなどない。極端なことを言えば、法律だってあくまで人が決めたルールであって、絶対不変のものではない。平和な時代に人を一人殺せば犯罪者だが、戦時中はたくさん人を殺した人ほど英雄になる、なんて話もある。

 

ただ、自分の気分が良いかどうか、は絶対不変のものだとぼくは思う。

 

ネガティブな感情を押し殺して生きていくのが、自分にとって心地良い状態であるならば、それはそれで構わない。でも、それが自分にとって喜ばしくないとするならば、まずは認めてあげてみてはどうか、とぼくは思っている。

 

どんな感情にせよ、まずは認めること。そこからしか始まらないんじゃないか。そう、ぼくは思っている。

 

だから、常々ぼくは怒っているし、悲しんでいるし、僻んでいるし、苛立っている。でも、だからこそと言ってもいいが、その分笑えているし、楽しんでいるし、喜びを感じているし、朗らかでもいられる。

 

自分の感情を自分で認める。そこから、その感情をどうするかを意識する。このステップを踏まないと、前には進めないんじゃないか。最近のぼくはそう思っている。

 

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