自分の人生を生きるということ(脳科学的に見て)

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面白い動画を見たのでシェアする。

 

www.youtube.com

 

むろん、「もぎけん、寝起きか」とか「もじゃもじゃ」とか「劣化版葉加瀬太郎かな?」とか、そういう感想を持たれても構わない。だが、短い動画なんだけども、なかなか示唆に富むことを話している。

 

どの学校に進学するか、どの会社に入るか、どんな仕事をするか。あるいは、自分はどう生きるか、どのような人生を送るか。こういったことを決断する際には、側頭頭頂接合部(Temporo-parietal junction)という部位が稼働している(らしい)。

 

頭頂葉は身体イメージや空間イメージなど、自分が空間の中にいることを把握する部分。側頭葉は記憶をつかさどる部分(らしい)。なので、自分が選び、決断してその結果を引き受けるということが、脳の決断力の回路を育むのだという。

 

この動画の中でもぎけんも言ってる通り、小さなことでも自分で決断する、その決断を積み重ねることが大切なんだろう、と思う。

 

例にも出てくるか、昼飯に何を食うかを人任せにするのではなくて、自分で考えて決めてみる。そういう小さなことの積み重ねが、実は、決断力を高めていくのではないか。

 

動画の中でもぎけんは、子どもたちにも自分で決めさせ、自分でその判断の責任を負わせることが必要ではないか、と説く。なるほど、とぼくは思う。

 

ぼくはいま、おかげさまで自営業をしているけれど、これはもう自分の判断を自分が責任を取ることの繰り返しである。サボろうと思うえばいくらでもサボれるけれど、その判断の責任は自分がとるしかない。逆に、最小限の活動で最大限の対価を得ることだって可能かもしれない。あんまり興味はないけれど。

 

要するに、自分がどういう人間でありたいか、どんな仕事をして、どんな人と一緒にいて、どんなことに喜び、どんなことを楽しみ、どう生きて、どんな人生を送りたいのか、これは自分で決められるし、自分で責任を取るしかない、ということにつながってくるんじゃないか、と思う。

 

もはや幻想になりつつあるけれど、「良い高校に入って、良い大学に行って、一流企業に就職する」的なレールに乗っかるのもいいけれれど、その責任は誰が負っているか、ということになる。

 

本当にその人生を歩みたいのか。それとも、もっと違う人生を進んでいきたいのか。

 

「〇〇したいけど、できない」というのは、本当だろうか。〇〇したければ、してみれば良いし、やってみて失敗したら、その責任は自分が負っていけばいいだけである。

 

人間が背負いきれない責任なんて、そうたくさんない。自分が生きたいと思う人生を生きないことの方が、大問題だとぼくは思う。

 

本当に何がしたいのか。本当はどう生きていきたいのか。それを誰のせいにするのでもなく、自分のこととして責任を持つ。それが出来たら、人生もっと楽しく、もっと幸せになるんじゃなかろうか。

 

自分の人生を、自分の手元に取り戻す。そんな2021年になるんじゃないか、とぼくはひそかに思っているのです。そのためには、小さな決断を自分で下すことから。

 

さて。明日はとんこつにするか、それともかつおだしの中華そばにするか・・・。

 

自分で決断して、その責任を自分で負える人生は(もちろん、ぼくだって100%そうだとは言えないけれど)、人任せにして自分で何も判断しない人生より、楽しいと思う。少なくとも、ぼくはそう思っている。

 

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