2020年12月24日に考えたこと
12月24日、スーパーでお寿司を買って帰って、一人で食べた。
というと、「クリスマスイブなのに」とか「ぼっち乙」とか「それはあまりにも悲しい」とか、そういう声が聞こえてきそうな気がする(あくまでも気がするだけ)。
が、同じことを10月28日にしても、8月7日にしても、2月17日にしても、特にそういうことは思わない。
これは何が言いたいかというと。
結局我々人間というのは情報の渦の中、あるいは情報から組み立てられる思い込みの中で生きていて、目の前の事実に勝手に色を付け、意味を付けているに過ぎないんだぜということである。
12月24日というのは、一年のうちにある単なる一日であり、他の日となんら違いはないはずなのに、なぜかみんな「一人でイブはさみしい」とか「ケーキくらい買って帰ろうか」とか、そんな気になる。不思議なものである。
そもそも、この「年」という概念だって、太陽暦か太陰暦かでも変わる。ユダヤ暦では日没が一日の終わりとされているらしく、そういう意味ではすでに「クリスマス」だわさとか、そういう話もある。
そもそも、クリスマスイブの「イブ」ってなんじゃい。風邪薬かとか、ロッテからヤンキースに移籍した速球が自慢のピッチャーかとか、そんなことも思うのだが、調べてみると「evening(イブニング)」と同意語の古語「even」の語末が消滅したものらしい。
えーと。なんだっけ。そうそう。これは良いとか悪いとか言ってるのではなく、そういうもんなのだな、ということを再認識したということをお伝えしたくて書いている。
だから、クリスマスイブにピザを食べようが、ぜんざいを食べようが、精進料理を食べようが、何でも良いはずなのだが、つい我々はなぜか七面鳥とかチキンとか、ケーキ(しかもブッシュドノエル)をイメージしてしまう。
これが楽しければいいのだけれど、それで苦しいのなら「違う選択肢もあるよ」とお伝えしたくなる。
クリスマスイブのことだから、わかりやすいというか、「そりゃそうじゃん(笑)」と思う人も多いだろうが、実は同じような情報、あるいは思い込みで真剣に苦しんでいる人もたくさんいるんじゃない?とぼくは思う。
主婦だから、家事をしなければならない。自由に生きられない。
男だから、稼がなくてはならない。家族の面倒を見なくてはならない。
仕事はきちんとしなくてはならない。
子どもの面倒を見なくてはいけない。学校に行かせなくてはならない。
大企業を辞めたら、生活が不安定になってしまう。
ほんとにそうですか?と問いたい。それは、クリスマスイブだから、家族やパートナーとケーキやチキンを食べなくては、というのと同じではないのですか?と問いたくなる。
別にいいんだけど。
その情報から作られる思い込み(錯覚)が、気分が良ければいいよねとぼくは思う。男だから、稼いで家族の面倒を見る!というのは、実に頼もしいと思うし、素敵な考え方だと思う。
でも、「誰のおかげでメシが食えると思ってるんだ」的発想になると、ダサい。あんたが好きでその錯覚を採用してるんじゃないか、と思ってしまう。
全てはあなた(や私)が作り上げている幻想にすぎない。でも、それでいいじゃない。楽しい方の幻想にシフトできたら、ハッピーだよねえ、とぼくは思っている。
ちなみに、スーパーで買ったお寿司以外に某ハンバーガーチェーン店の店頭でチキン4ピースも売ってたので買ってみた。が、ファミ○キの出来の悪いのみたいで、ちょっと残念だった、というどうでもいい話を最後にそっと差し込んでおく。
あと、イブと伊良部は遠すぎるというクレームは受け付けるが、イブじゃなく「イヴ」です、という奴とは友達にはなれないかもしれないとだけ言っておく。
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