「嫌い」の研究

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自分の趣味趣向や主義、何が好きで何が嫌いかについて、知っておくことは有益だと思う。

 

そうでないと、ココ壱番屋(通称ココイチ)に行って、辛い物が苦手なのになぜか「5辛!!」とか言ってしまって、食べられなくて後悔したり、そんなに好きでもないお相手と結婚してしまったりする。

 

いや、冗談で言っているのではない。割と真面目に書いている。

 

特に、自分の嫌いなもの、苦手なものを把握しておくことはとても重要だ。でないと、対処に困る。

 

自分の嫌いなものだって世の中にはたくさんあるし、好きなものだけに囲まれて生きていく、という生き方を選ぶこともできるけれど、ふいにそうではないことが生じたりもする。

 

その時に、自分の嫌いなものが把握できていれば、それなりの対処はできる。嫌いなものが出てきそうなところからは離れるとか、予め準備をしておくとか、そういう対策が考えられる。

 

嫌いなものを嫌い、と認めないという手もある。もちろんある。ただ、これはなかなか難しい。感情が出てくるということは、そこに何らかの理由があるわけで、それを否定するのは結構厳しい。

 

ピーマンが嫌いな子に「ピーマン嫌いじゃないよね?」と押し付けたところで、ただただトラウマになって、おそらくはさらにピーマンが嫌いになるだけで、いいことはない。

 

それよりは、ピーマンの良さを引き出す料理法で、美味しくピーマンを食べさせた方が、よほどいい。それは「嫌いなものを嫌いだと認めない」のではなく「嫌いなものの中に良さを見つける」ということで、別の話だ。

 

おっと話がそれた。

 

「嫌いなものがわかると、好きなものがわかる」という説もある。ぼくもこの意見には大賛成である。特に考え方や性格に関して言うと、「あ、こういうのが嫌いということは、こういうのが好きなんだな」とわかる。

 

とかく、人や組織のことを「嫌い」というと「そんなこと言っちゃダメ」と言われることが多い。本当にそうだろうか。別にその人や会社のことを「悪い」と言ってるわけではなくて、「私の好みとは合わないですよ」という表明をしているだけで、(個人的には)良いも悪いもない、と思っている。

 

ただ、やはり「嫌い」と言われると「否定された」と思うのが人情のようで(確かに、ぼく自身も人から「嫌い」と言われると凹むし、傷つく)、申し訳ないなあとは思う。

 

ただ、「こういうところが嫌い」という切り分けした上での話なら、もう少し建設的に会話ができるかもしれない、とは思う。

 

何が言いたいかというと、「嫌い」という感情を必ずしもネガティブに捉えなくていいんじゃないか?とぼくは思っているということだ。

 

そしてさらに個人的なことを言えば、ここ数日で「それは嫌いだなあ」と思うことに立て続けに遭遇した。「まあいいんだけど」と思いつつ、やっぱりモヤモヤする自分がいるわけで、まあ仕方がない。

 

ここ数日で出くわした「嫌い」なことに関しては、どう折り合いを付けようか、ちょっと考えているところだ。

 

少なくとも、自分としてはそういうことはしないでおこう、と再認識することはできたから、まあ良しとしようと思っている。

 

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