聞かれて困る質問について
嫌いな質問、正確には「聞かれて困る質問」が2つある。その1つが「好きな食べ物は何ですか」である。
理由は簡単。そう簡単に答えられないから。好きなものがあり過ぎて、どう答えたら良いか困る。
季節、時間帯、その時の気分で、好きなものが変わる。だから、「おいしいもの」と答える。我ながらひねくれてるとは思うけど、まあ仕方ない。
と言いつつ、やっぱり好物というのはあって、例えば秋ならさんまの塩焼き。魚は刺身派のぼくだけれど、さんまだけは塩焼きでいただきたい。大根おろしとすだちなんかあれば、もう夢のようである。
焼き鳥も好きだ。でも、焼き鳥屋はどうしても下戸のおじさん一人では入りにくい。だから、かえって羨望が増す、というのもあるかもしれない。
寿司もいい。回らない高級な寿司も、回るのも、スーパーのお寿司も例外なくいい。寿司に貴賎はない(たぶん)。
おいしいピザも捨てがたい。できれば薄目の生地で、具は少なめのやつ。いつかイタリアでおいしいピザをたらふく食べたいのだが、果たして今世行けるかどうか。
とかなんとか言いつつ、白いご飯とお味噌汁、というのもある。そこに納豆に生卵、おつけものなどあれば、もう言うことはない。
カレーとラーメンについては、もはや趣味の領域に入りつつあるので、ぼくの人生から外すことはできないし、タイやベトナムといった東南アジアの料理もおいしい。日本式の焼肉も良いが、韓国の本格的な焼肉もうまい。
ほら、言わんこっちゃない。「好きな食べ物は何ですか」という、ある意味ちょっとした質問から、こんなに派生してしまう。
だから、友だちや女性と(たまにはぼくだって女性と食事に行くことくらいはある)ご飯でも食べよう、となると、非常に困る。本当に「なんでもいい」からだ。裏を返すと「何でも食べられるし、何を食べてもおいしい」からだ。本当に困ってしまうのだが、仕方がない。
その瞬間に食べたいものを挙げるとしても、もしその瞬間に「シュクメルリ」が食べたかったり、どうしても「フレスケスタイ」腹だったとしたら、どうするのか。一体どこで食べられるのか、途方に暮れるしかない。そして僕は途方に暮れる。
だから、ぼくが「好きな食べ物は何ですか」という質問に直面した時は、こんなことがアタマの中をぐるぐるしているのだな、と思っていただきたい。決して迷惑ではないのだが、答えに窮するのは間違いない。
ちなみに、もう一つの「聞かれて困る質問」は「好きな異性のタイプ」である。なぜか。答えは推してシルベスター・スタローンである。
ステキな人は世の中にたくさんいて、それを「タイプ」という大まかなくくりでまとめることに無理がある、となぜ思わないのか、と勝手に憤慨したりする。
だいたい「ぼくは何でこの人を好きになったのだろう?」と疑問に思うことすらある。たまにではない。しょっちゅうある。でも、その答えは常に闇の中だ。たぶん、その答えは永遠に出ない。
そう考えると、もはや「好き」も「嫌い」も、結局のところ錯覚でしかないのかもしれない。好きだの嫌いだの言っているのも、この世のお楽しみ、ということなんだろう。
だから、この世は面白いのだろう。正しいも間違いも、好きも嫌いも結局は錯覚だ。だとしたら、好き(だと錯覚しているもの)に囲まれている方が幸せだ、とぼくは思う。
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