愛と怒りと
降りてきちゃったし、ガラでもないし、お仕事につながりそうもないけれど(笑)、書かずにはいられないから書いておくね。
今回は「愛」について。
・・・しばらく沈黙の後、今度はずいぶん壮大なテーマが続くなと思うかもしれませんが、たぶんそんなに続かないはずです(笑)。
「愛」という字は真心で、「恋」という字は下心、と歌ったのは確か桑田佳祐だったはずだけれども、そういうことが言いたいんじゃなくて。
愛っていうと、何となく「好き」の上位互換みたいな感じがしてる(してた)けど、そうじゃないのかもねと、最近思っている。
まず、「好き」ってなんだ。
すき【好き】[名・形動]
1 心がひかれること。気に入ること。また、そのさま。⇔嫌い。
2 片寄ってそのことを好むさま。物好き。また、特に、好色。色好み。
3 自分の思うままに振る舞うこと。また、そのさま。
なるほど。一般的に使われるところで言えば、心がひかれる、気に入っている状態のことだと。
一方で、「愛」とは何か。
ぼくがいま感じているのは、好きとか嫌いとかそういうことじゃなくて。あるいはそういうことすら超越して「相手の幸せを願ってる」。それこそが愛なんじゃないか。
相手のことが嫌いだし、気に入らないし、腹立つし、すごく嫌だけれど、それでも相手の幸せを願ってる。そういう状態もあり得る。それもまた「愛」であると。実は、そんなことを最近思っているのです。
これは、実は「怒ってる時」の自己防衛に結構有効な考え方かもしれない、とも思うの。
「怒り」は、よく言われることですが、大体「二次感情」。ただただ「怒り」が湧き出ることってのはあまり(ほぼ、と言っても良い)なくて、怒りの裏側には、自分が大切にしていたものが(誰かに)大切にされなかったり、ないがしろにされたと感じて寂しかったり、実は相手がうらやましかったり。
そういう別の感情が、怒りのスイッチを押していることがとても多いと感じる。
だから、自分が何かに(誰かに)怒っているなと感じたら、まずきちんと「感じること」が大切だと思う。「あ、いま自分はこれについて怒っている」と。
その上で、「では、どうだったならば怒らなかったのか、嬉しかったのか」を感じてみる。相手がこうしてくれたら良かったのに、ドタキャンじゃなく、事前に連絡があれば良かったのに、チョコじゃなくて抹茶アイスだったらこんなに怒らなかったのに、とかとか。
その上で、「相手にとってはそれが最善・最良だったのだな」と思ってみる。心の底からそう思えなくても大丈夫。まずは。ぼくだって、そう思えないことの方が多い(笑)。
でも、そうしてみると、相手が幸せならば、それでいいか、と少し思えるようになってくる。たぶん。
そういう「愛」の状態にいると、怒りのあまりドアをぶち破ったり、フライパンを真っ二つにしたりすることは減るはず(してたんかい)。
愛は、決して崇高なものでも、どこにもないものでもなくて、ぼくらの心の中にひっそりとあるものじゃないかな。
その愛を引っ張り出してくること。それだけで、気持ちが優しくなるんじゃないかと僕は最近思う。
ま、それだけ最近プンスカ怒っていた、ということの裏返しでもあるんだけども。