この世は矛盾で満ちている

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世の中は、矛盾で満ちている。

 

こんな一文から始まる小説があったとしたら、たぶんぼくは本屋で手に取り、「ふふん」と鼻で笑ってそっとその本を棚に戻すだろう。

 

あまりに陳腐すぎる。ありきたり過ぎるし、カッコつけ過ぎにもほどがある。

 

にもかかわらず、敢えてぼくはこう書く。

 

「世の中は矛盾で満ちている」。

 

自分に自信があることと、自分の実力や能力を過信することは違う。絶対に違う。

 

自分に自信があるということは、裏を返せば、自分に自信がないということだ。だから、自分にできること、今やるべきことを淡々とこなす。それが自信につながる。

 

自分を過信している人間は、おおむね「淡々と」とか「コツコツと」とか「じっくり」という言葉を嫌う。さっさと、ぱっぱと、お手軽に結果を出したがる。

 

別に、どちらが良いとか悪いとか、そういうことを言いたいわけではない。どっちだっていい。自分を過信することだって、別に悪いことではない。過剰なほどの自信があるということは、それだけ自分を信じられているということなわけで、決して悪いことじゃない。

 

ただ、好きか嫌いか、はある。

 

そう、ぼくは常々「良いも悪いもない」とブログで叫び続けている。でも、「好きか嫌いか」はもう、誰にも邪魔されないほどにあると思っている。

 

本田翼が「良い」か「悪い」かは、ぼくには何も言えない。

 

でも、本田翼が「好き」か「嫌い」かは言える。

 

そして、本田翼の性格が「良い」か「悪い」かも、ぼくは知らないし、何も言える立場にない。ただし、「どんな性格か」を知れば、それが「好き」か「嫌い」かは言える。

 

これも矛盾かもしれない。

 

話を進める。

 

自分を認めることと、自分に満足することは、これまた違う。

 

ぼくは、自分で自分自身を認めたいと思っている。ブログの文章が長いことも、リアルの話も長いことも、ついついいらんことを言ってしまうことも、ダジャレのセンスがないことも、女子にさっぱりモテないことも、男子からの人気もさほどないことも、認めている。

 

これだけ自分に対してシンプルに悪口がスラスラ出てくる自分を、ある意味ホメたい。

 

それは良いとして。

 

一方で、「だからこれで良いんだもんね」と満足しているかと言えば、決してそうではない。ブログもできれば短くまとめようとトライしているし(本当である)、リアルの話も短く切り上げたいと思っている(結果長くなるけれど)。

 

それ以外のことも、ぼくは満足せず、さらに良くなることを探してチャレンジし続けたいと思っている。そして、チャレンジしている自分を認めたいとも思っている。

 

もちろん、満足すること、足るを知ることは大切かもしれない。

 

「ま、これはこれで幸せだよね」と思えることは、それ自体が幸せである。でも、そこに安住(TBSのアナウンサーではない)してしまうと、成長が止まる、ような気がする。

 

一方で、自分を認めていないと、いつまで経っても自分で自分を満たすことが出来ない。誰かからホメてもらわないと、自分が保てない自分を創り出してしまう。

 

何度でも言おう。それでも別に構いはしない。そういう自分がお好みであれば、そういう自分で居続ければ良いんじゃないか、とぼくは思う。

 

ぼく自身は、まっぴらごめんである。

 

誰かからの評価がもらえなかろうと、誰にもホメてもらえなくても、給料が上がらなくても、人から「アイツはアホだ」と言われようと、「ブログおもんない」と言われようと、自分で自分を認められる人間でありたいと思っている。

 

本来、人は誰をも評価できないし、誰からも評価されない(その必要がない)ものだとぼくは思っている。人からの評価が欲しくなるのは、資本主義、あるいは会社主義、あるいは学校という仕組みの悪影響じゃないかとぼくはにらんでいる。

 

学校の教科になっているものが得意な子は、先生や親からホメられ、認められる。

 

しかし、今のところラップがウマい子供や、スクラッチが天才的な子、上手に韻を踏む子などは、今のところヒップホップ業界からしかホメられない。

 

ということは、人からの評価を受けられる可能性が極めて低い。

 

他のことでも同じだ。「何の役に立つねん」と思うような特技でも、その子にとっては天才性である。それを他人から評価されないからと封印してしまうのは、本当はもったいない。

 

自分で自分を認めて「これが好き」、「これは自分でもすごいと思う」といったことを感じられる人が増えたら、世の中はもっとハッピーになるんじゃないか、と思っている。

 

悲劇は、人からの評価を得たいと思うことから始まる、とぼくは思っている。人からの評価を得たいから、自分のキャパシティー以上に頑張るし、自分には向いていない(かもしれない)仕事や活動を一生懸命して、自分の中心軸とズレていく。

 

だったら、自分で自分を認められる自分になって、誰がなんと言おうと、自分がやりたいこと、自分が進みたい道を進む方が幸せじゃないか?とぼくは思う。

 

ただ、この道はイバラの道だ。アジアの壁ではない。それは井原だ。今、何してんだろ、井原。

 

もとい。誰かが認めてくれる道は、ある意味楽ちんだ。評価基準が明確であれば、なおのこと楽だろう。それに沿ったことをしていれば、評価につながるのだから。

 

でも、自分で自分を認める道は、そうはいかない。自分にしか判断基準がないし、評価基準もないわけで、自分が「YES」か「NO」かを判断し続けるしかない。今の自分で良いのか、今の自分を、自分が認められるのか。それを問い続けるしかない。

 

終わりはない。

 

 

 

自分を乗り越えられるのは、自分だけである。

 

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