ルールにまつわるエトセトラ

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「『ルール』って、何だね?」

 

唐突に『北の国から』の菅原文太風に質問してみたい。

 

ルールとは、何なのか。

 

調べてみると、「ドイツ北西部、ライン川と、その支流リッペ川・ルール川とに囲まれた地域。ヨーロッパ最大の工業地帯で、19世紀からルール炭田を背景に発達し、ドルトムント・エッセン・デュッセルドルフなどの都市が連なる。第一次大戦後の1923~25年は、ドイツの賠償支払の遅延を理由にフランスが占領して国際危機を招いた」とある。

 

うん。これはドイツのルール地方のことだね。そういうことを言ってるんじゃない。

 

「規則/規定/きまり」。こんなところがぼくらがパッと思い浮かべる「ルール」の意味だと思う。

 

ちなみに『ルール・ブリタニア』というイギリスの愛国歌があるらしいのだけれど、日本語に訳すと「統べよ、ブリタニア」(ブリタニアとは、イギリスを擬人化した女神のことらしい)てな意味になるそうだ。

 

さて。本論に入るけれど、ぼくは「ルール」が大嫌いである。かといって、別に法律なんて守らなくても良いんじゃないか、なーんていうアナーキーなことを言いたいわけではない。

 

「ルールを作ることほど、難しいことはない」と、ぼくは言いたいのである。

 

人間が一人で生きていく上では、別にルールなんて必要がないことが多い。好きにすればいい。でも、人が何人か集まって、共同生活を送ったり、何か一緒にやろうとすると、「ルール」を設けた方がいいんじゃないか、という声があがりやすい。

 

例えば、会社組織。あるいは、学校。はたまた、シェアハウス。ひょっとしたら、ご夫婦や家族間でのルールがある、ということもあるかもしれない。独り身のぼくとしてはうらやましい限りではある。

 

ルールを作ろう、という時は、大概物事がうまく進んでいない時だ。何か問題が出た際に、それをクリアするためにルールを設けることがほとんどだろう。

 

でも、これはあくまで個人的な感覚だけれど、ルールで物事を何とかしようとすると、だいたいうまくいかない。なぜならば、「ルール」を作ってしまうと、その「ルール」に当てはまらない状況や事情が必ず発生してしまうからだ。

 

全方位的に完璧なルールを定めるというのは、非常に難しい。特に人間や生活、個々人の主義主張が絡む場合に、何らかのルールを設けるというのは極めて難しいとぼくは思っている。

 

細かくルールを設定すると、それに当てはまらないケースや上手くそぐわないケースが出てくる。あるいは、(意識的にせよ、無意識的にせよ)そのルールの境目や盲点を突かれることが出てくる。そうなると、それを取り締まるためにまたルールを作らざるを得なくなる。そうすると、また別の問題が発生したりする。いたちごっこになりかねない。

 

物事をルールで守らせよう、管理しようというのは、ぼくは結構キツいと思っている。特に組織や複数の人が集まって何かしよう、という時、ぼくはできるだけルールを少なくしたいと思っている人間である。

 

これはぼくの勝手な持論だけれど、ルールを定めないと上手くいかない(あるいは、そう思っているということは)、当事者とのコミュニケーションが不足しているからなんじゃないか、とぼくは仮定している。

 

例えば、公園で誰かが滑り台を独占して遊んでいる。けしからん。みんな順番に使うべきだ!とルールを決めたとする。それで一件落着なのか。その独占して遊んでいた子どもにとって、何かの学びになったのか。

 

「なぜ、滑り台を独占するのか」、「独占して本当に楽しいか」、「一人で遊びたいのか、それともみんなと遊びたいか」こういった質問を投げかけていったら、滑り台を独占していた子も、ひょっとしたら自ずと順番に遊ぶようになるかもしれない。

 

そんな手間かけてられないよ、なのか、そうならないからルールで決めちゃうんだよ、なのか、ぼくにはわからない。ただ、「こういうルールだから、こうしろ」というコミュニケーションを、ぼくは好まない。ただただ、ぼくの好みではない。

 

「こちらはこうしてほしいと思っている」、「あなたはどうしたいと思っているのか」、「歩み寄れることはあるか」てなことを話し合いつつ決めていけると、とてもいいんじゃないかなあと個人的には思っている。

 

むろん、ぼくだって人の子であって、いつもいつもそういうコミュニケーションを取っているわけではない。でも、「いや、これがルールだから」と、相手に押し付けるコミュニティは作りたくないし、そういうコミュニティにはあまり所属したくないねとも思う。

 

お互いの意見を出し合い、お互いの想いを尊重し合い、その結果上手く回る人間関係が、ぼくの理想としてある。「管理する」とか「統制する」とか、「ルールで縛る」とか、ダサくないっすか。あとコスパ悪くないっすか、と問いたくなる。

 

「ルールを決めて、守らせる」というのは、性悪説を採っているように、ぼくには感じられる。ルールがないと、秩序が保たれない、という発想がその根底にはあるような気がする。

 

一方で、ルールがなくても秩序は保たれるし、良い感じで物事が進む、と思ったっていいはずである。人々の優しさや配慮によって、秩序は保たれるし、平和に物事が進む。ぼくはそんな世の中を見たい。言い方によっては性善説と言ってもよいかもしれない。

 

ま、そんなめんどーなことを言ってるから、一人でいるんじゃないっすか、と言われると、ぐうの音も出ないのだけれど。

 

それにしても、ぐうの音って、どんな音なんだろうね。

どうでもいいっちゃあ、どうでもいいんだけど。

 

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