レッテルを貼ると、その時点で思考は停止する

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「『AはAだ』と思い込んだ時点で、思考は停止し、固定した視点からしか見られなくなる」。

 

これは、古代ローマ時代に詭弁家として活躍したと言われている、オマエノ・カーチャン・デヴェソニウスが、自身の死罪が確定するか否かという最終弁論の場で言い放ったとされる名言である。

 

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さすが古代ローマきっての詭弁家、デヴェソニウスである。言葉の切れ味が違う。

 

これは、巡り巡って現代にも同じことが言えるだろう、とぼくは思う。

 

例えば、トランプさん(アメリカ大統領のね)を見て「なんかいけ好かない」と思ったら、発言の全てがいけ好かなく見えてくる。あるいは、「この人は正義の味方だ!」と思えば、そう見えてくるかもしれない。

 

逆に、この人は好き!となると、その人の言動を全て良いように解釈してしまう。そんなことはないだろうか。

 

正直に言おう。ぼくはある。大いにある。

 

人に対してだけではなく、物事に対してもそうかもしれない。ネガティヴなこと=悪いこと、とレッテルをべったりと貼ってしまうと、ネガティヴなことが起きた時に、良いようには捉えにくい。

 

でも、当ブログでは何回もお伝えしている通り、この世の中に良いも悪いもない、とぼくは思っている。と書いたぼくの言葉すら、正しいとも言えるし、間違っているとも言える。ややこしいが、この世はそのようにできている、とぼくは思っている。

 

有名人でなくても、ぼくらは人々に対して(時に大いに)レッテルを貼って対応していると思う。「この人は信用できる人」、「この人はダメな人」といった具合に。でも、その時点でもはや、あなたの(あるいはぼくの)思考は停止し、視点は固定化してしまう危険性がある。

 

どんなに普段信頼できる人であっても、魔が差してキャバクラで羽目を外すことだってあるかもしれないし、どんなにいつもは嘘ばかりついている人でも、たまには真実を語ったりするかもしれない。

 

人間は移ろいゆくものだし、時と場合によってその心情や考えは変化する。

 

それを許容していないと、あまりに苦しいんじゃないか、とぼくは思っている。

 

ただ。ぼくだって聖人君子ではないので、「アイツはこうだから」とレッテルを思いっきり貼ってしまうことはある。盛大にある。

 

これは自己防衛のために言うわけではないのだが、それを避けるためにこそ、ぼくらは日頃から「どう在りたいか」、「どういう人でいたいか」を意識して生きていく必要があるんじゃないかと思っている。

 

レッテルを貼ってしまうのだって、いきなり一発で貼るわけではない。サロンパスじゃあるまいし。積み重ね積み重ねていったものが、「アイツは○○」というレッテルになる。おーこわ。

 

とは言え、何度でも言うけれど、レッテルを貼った時点で、ぼくらの思考は停止している、と考えるべきだ。そう見た方が、ぼくらにとっては楽ちんなのだ。

 

「今日はAかもしれない」
「今日はBかな?」
「お、今回はCかもよ」

 

と、人に対して常に新鮮に接し続けていられるほど、ぼくらはヒマではないらしいのだ。だからこそレッテルを貼って、「ああ、この人はそういう人だから」と脳をサボらせたい生き物のようなのだ。

 

そう思っておかないと、ぼくらはすぐに色々なもの・こと・人にレッテルを貼りまくる。気を付けないと、Aと言えばA、コロナと言えば危ない、マスクしないで出歩くやつはバカ、中国人と言えば騙しにかかる、あべのぶおのブログと言えばバカらしくて、読んでも一文の得もない、みたいな反射で物事を捉えてしまいかねない。

 

おい、誰だ。最後のだけは間違いないって言ったやつ。

 

ぼくもそう思う。

 

それはさておき。

 

「何かにレッテルを貼ってしまうと、その時点で思考停止している」ということを、ぼくらは頭の片隅に置いておきながら、生きていった方が良いような気がする。

 

もちろん、レッテル(ステレオタイプ的反射)で物事を判断し続ける日々も良いでしょう。否定はしない。でも、ぼくはもうそれを良しとはしない。

 

前に、ある人にコーチング(あるいはセッション)をしてもらった時、「あなたの特徴は『物事を疑ってかかる』ことで、それは才能だよ」と言われたことがある。なんだか、人を信じられない人みたいでその時は「ウーム」と思ったのだけれど、レッテルで物事を判断しない、という意味では、悪くないなと思っているぼくである。

 

※まさかとは思うけれど、冒頭に出てきた古代ローマの詭弁家、オマエノ・カーチャン・デヴェソニウスなる人物は実在せず、ぼくが「ヴ」を言いたいがために生み出した架空の人物であることだけは、一応書き添えておく。

 

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