「感覚で物事を判断する」ということ

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周りからどう思われているかはわからないのだけれど、ぼくは自分では、感覚で物事を判断している方だと思う。それは単に、論理的思考力が著しく低いとか、数字にとても弱いとか、単にポンコツであるということをオブラートに包みまくって表現している、ということとは違う。断じて違う。

 

ぼくの判断基準の多くは「良い感じがするかどうか」にある。そんなむちゃくちゃな、と思われると思うのだが、割と本当なのだから仕方がない。

 

お昼の店を選ぶときも、賃貸の部屋を借りるときも、人生の岐路に立ったときも、割と損得や経済的なことよりも「自分が良い感じがするか」を意識してきたような気がする。

 

誤解していただきたくないのは、それが良いとか悪いとか、カッコイイとかそうではないとか、そういうことを言いたいのではない。単に、ぼくがそうしてきた、ということだけをお伝えしている。ひょっとしたら、良い感じがするからと選んだ道が、全くもって良くなかった選択だったということもあるかもしれない。

 

ただ、なんでこのタイミングでこんなブログを書いているかと言うと、そういう感覚、感性で物事を見るということも必要なんじゃないか?とぼくが思っているからだ。

 

目の前で笑えない状況が起きている。あるいは、色々な喜ばしくない情報が自分の耳に入ってくる。じゃあ、どうするのか。笑えない状況に囚われてしかめ面をして生きていくのか。喜ばしくない情報に踊らされて、嫌々ダンスし続けるのか。

 

状況も情報も、どこまで行っても「出来事」に過ぎない。この世の中に絶対無二の真実なんてものは存在しない。物事は表から見れば表に見えるし、裏から見れば裏に見える。「戦争は、正義と正義のぶつかり合いだ」と言ったのは誰だったろう。もし誰も言ってないなら、ぼくが言ったことにしておいてほしい(多分違う)。

 

この世に絶対的な正義がないように、この世には絶対的な悪も存在しない。正義の反対は、別の正義でしかない。どの正義を信じるか、どの正義が自分にとって「良い感じがするか」。その程度のことでしかない。

 

もちろん、揺るぎない真実も世の中には存在する。太陽は東から登って西へ沈むし(バカボンの世界を除く)、モノは上から下に落ちる。人は年齢を重ね、年老いていき、そしていつかは死んでいく。それは定めだ。

 

何度でも言うが、ぼくが書いていることが正しいなんて言うつもりは一切ない。でも、「あれが正しい」、「あの情報は間違ってる」、「あの人が言うことが真実だ」、「アイツは嘘をついてるに違いない」、そんな情報に振り回されるよりは、自分にとって「良い感じがする」選択をする方をぼくは選びたいと思う。

 

ただ、いくら情報に振り回されない生き方を目指しているといっても、天気予報くらいは一応チェックした方が良いようだ。今月だけで3回も、傘を持っていない状態で雨に降られたぼくが言うのだから、間違いない。

 

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