『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』と、自分のアタマで考えること
最近、個人的に面白い本を立て続けに読んだので、ご紹介したい。
たぶん、ぼくのことだから、いつも通り話があっちゃこっちゃ行きながら進んでいくはずなので、あまり書評だとか、レビューだと思って期待して読まないようにお願いしたい。
まずは『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』という、とんでもなく長いタイトルの本である。
日本語に翻訳され、出版されたのは去年の3月らしいので、そんなに新しい本とは言えないのだが、梅田(大阪)の本屋では未だに店頭で平積みにされていたので、売れ筋なのだろう。
それにしても、北海道生まれ関東育ち、悪そうなやつはだいたい遠巻きに見てきたぼくとしては、未だに「梅田=大阪」というのがピンと来ない。いや、位置関係上そうなっているのは理解できるし、東京にも「三田=田町」みたいなトリッキーな駅があるので、大阪のことばかりは言えないのだが。
ただ、「梅田=大阪≒キタ」というフレーズが入ってくると、余計ややこしくなる。土地勘がない上に方向音痴のぼくとしては「アレ?なんばがミナミで、梅田がキタ?逆?」となってしまうのである。あれは本当にやめてほしい。
あと、大阪と新大阪が微妙に遠いのもやめてほしい。まあ、これも横浜と新横浜は全然違うところにあったりするから、文句は言えないのだけれど。
話が盛大にそれた。
この本が面白いのは、人間の有史以降、「経済」というものがどういう流れで生まれ、今の仕組みになっているのかをわかりやすく説明しているからだ。そして著者は、娘に語り掛けるように「現在の経済社会が抱えている問題」についても触れていく。
ぼくがこの本で何しろいいなと思ったのは、現代の経済社会を「良い・悪い」で評価することを(多少はあるけれども)せず、「で、どうだったらいいと思う?」と読者に委ねている点である。
ぼくなんかはどうしても、つい本を読むときに「正解」を見つけようとしてしまう。何が正しくて、どうすればよいのかをつい教えてもらおうとする。これは、人に話を聞くときもそうかもしれない。
でも、この思考法は極めて危険だ。この世の中に「絶対に正しいこと」なんて、そう多くない。というか、ないと言ってもいいかもしれない。それなのに「正解」を探しに行くと、「不正解」を作ることになる。さらに、ほかの人から「これが正解だよ」と差し出されたものを鵜呑みにしていると、自分のアタマで考えることができなくなっていく。
難しいのは、何かを教わろうというときは、自分の考えをなくして、まっさらの状態で聞いた方がいいこともある。なぜなら、自分が何かを教わろうという人は、普通に考えて自分よりもそのことについて精通しているわけで、その人の言うことを100%信じて聞く、ということも必要な場合もある。
例えば。ギターのド素人がChar(例えが古いな)にギターを教わる際、「Charさん、それはちょっと違うんじゃないっすか」とか「ぼくはそう思わないす」というのは、どう考えてもオカシイ。それで先生の言うことを疑ったり、あるいは自己流で練習したとしても、成長は鈍る。
この場合、自分のアタマで考えるべきは「どの人に何を習うか」であって、その教えてもらっていることに疑いを持つこととは違う。
またも話が壮大にずれた。
お金のこと、特に経済システムのことなどは難しいし、複雑だし、自分で「どういう仕組みがいいのか」と考えるのは大変かもしれない。しかし、(今のところは、と敢えて言うが)自分たちの生活の根幹をなしていることでもあるし、すぐには実現不可能でも、「どういう仕組みがいいんだろう?」と考えてみてはどうか、と思う。この本は、その一助になるのでは、と思う。
本当は別の本も紹介したかったけれど、それはまた別の機会に。
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