あきらめる

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あきらめよう(笑)。

唐突だけれども。


もともと、

「あきらめる」とは

「明らかにする」ことを

意味していた、という。


理由やプロセスを明らかにして、

納得して断念する。


これが「あきらめる」の

もともとの意味らしい。


そう考えると、

「あきらめる」というのは

とても前向きな思考である。


自分に必要か、そうでないか。

自分がやるべきか、そうでないか。


そういうもろもろを

「あきらめて」、

自分が為すべきことに集中する。

 

なにをあきらめて、

なにをあきらめるべきではないのか。


ぼくの師匠筋の一人が

「弱音を吐くチャレンジを始めた」

と言った。


「言い換えると、もっと謙虚になる」

とも。


弱音を吐かない、

むやみに人の手を借りない、

何でも自分でやる、

という姿勢は、とても尊い


でも、何から何まで、

自分一人で完璧にできるなんてのは

勘違いだし、ある意味では傲慢だ。


そこは「あきらめる」必要がある。

トライしてみて、

「あ、これは苦手かも」と思ったら

そのことが得意な人にパスをする。


ある意味、弱音を吐く。

ある意味、謙虚になる。


トライしたから、明らかになる。

明らかになったから、あきらめられる。


でも、それがいい。

お互いの得意を活かして、

お互いの苦手を補い合って

得意を持ち寄って生きていく。


そんな世界へ向かう第一歩として。


完璧な自分

何でもできる自分

人に迷惑をかけない自分

弱みを見せない自分


そんなもろもろを

あきらめる。

 

ぼくにも

あきらめるべきものが

たくさんありそうです(笑)

 

 

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責めない

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なーんか、ぼくの周りで

こういう話を聞くことが増えてきたので、

こりゃ流れだねと思って、書く。

 

「この世の中は、全て自分が創っている」

と考えて、行動する。

 

うん。その通り。

そりゃ素晴らしいことなんだけど。

 

とても嫌なこと、辛いこと、

悲しいこと、苦しいこと。

 

そういうことが起きたとき、

「自分が創った、引き起こした」

と思おうとする。

 

そうすると、どうしても、

正直しんどいときも

あるんじゃないかな。

 

うん、ぼくはある(笑)

自分が全て作ってる、と思うと、

どうしようもなく落ち込む。

 

うん。そりゃそうだ。

「こんな状況を、ぼく自身が創ったんか」

と思うんだもの。そりゃ辛い。

 

そこでぼくは、

こう考えることを提唱したい。

 

(たぶん、誰かが先に言ってるけど)

 

この状況を、ぼく(わたし)は

どう捉えたい?どうしたい?

 

これよ。

 

この状況を引き寄せたのは

ぼく(わたし)か!!と思う。

 

それも必要。

でも、そこで立ち止まっていては、

前に進まない。

 

前にも書いたけれど、

「どうして」にはあまり意味がない。

 

むしろ「どうしたい?」を

考えた方が、物事は前に進む。

 

全て自分が創り出している、

ってことは、

自分で変えられるってこと。

 

いまの、この状況が

嫌だ、辛い、悲しい、苦しい。

 

じゃあ、どう捉えたい?どうしたい?

 

例えば。

大切なペットが亡くなったとする。

 

ああ、タロちゃん(仮称)を

死なせたのはわたしだ!と

自分を責め続けても、もちろん良い。

 

でもぼくは、そのゾーンには居たくない。

 

タロちゃんは、ぼくに命のはかなさと、

いつまでも生きるわけじゃないんだと

身を以て教えてくれたんだね。

 

そして、一足先に光の世界に行ったんだね、

ありがとうね、と捉える。

そして、感謝する。

 

もちろん悲しい。

だけど、自分は責めない。

 

起きている出来事や現象は、

変わらない。

 

でも、自分の視点や意識は

変えられる。

 

変わらないものを見つめても、

何も変わらない。

 

それならば。

変えられるものに

意識を向けてみてはどうかな。

 

過去は変わらない。

いまが変われば、未来が変わる。

 

さ。ぼくは一歩踏み出すとします。

良かったら、一緒に。

 

 

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幸せ

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自慢じゃないんだけど

あるいは、自慢でも良いんだけど。


「いいひとだね」とか

「優しいよね」とか

言ってもらえることがある。


嬉しいし、

相手からはそう見えるんだ、だし、

ありがとう!と受け取るけど、

多少のモヤつきもある。


ぼくは、

相手の幸せを願うひとでありたいし

相手の幸せが自分の幸せだと

想っているし、想いたいひとだ。


ぼくの大切なひとや仲間が

笑顔で幸せに生きているのを見て

ああ、幸せだなと想いたい。


けれど。

ときに、自分が幸せを感じたい

自分が幸せになるために

相手にそのことを

押し付けてるんじゃないか?

と感じてしまうことも、ある。


もちろん、根底は愛だし、

相手のためを思っての言動、だけど。


それ、自分の欲求を

満たすためにやってない?

と感じてしまうことも、ある。


めんどくせーーー(笑)って

自分でも想うんだけど。


でもさ、あるんだよ。

そう感じちゃうことが。


究極、全部自分のエゴだと前に書いた。

その氣持ちに変わりはない。


でも、だからエゴでも良いとは

ぼくは思えない。


心から、相手の幸せを願って、

それが自分の幸せであると想いたい。


そりゃ、自分の欲もあるよ。

こうしたい、こうであってほしい、

と思うこともある。

人間だもの(笑)


でも、ぼくは、

目の前の人が笑ってくれる

幸せであってくれる

そのことをこそ、喜ぶ人でいたい。


例えば、相手が選んだ幸せが、

ぼくの希望や欲求と違っても。


あなたが幸せであれば、それでいい。

そう、100%揺るぎない確信を持って

言い続けられる、

在り続けられる自分になる。


それがぼくの幸せにつながる。

常に、そのゾーンで居続ける。

 

 

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恐れ


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子どもの頃、

「見えないもの」への恐怖が強かった。


映画だったか何だったか、

「見えない何か」が襲ってくる

というストーリーを見て、

夜中に怖くて眠れなくなったのを覚えている。


「見えないもの」への恐れは、

形を変えて、未だにぼくの中にある。


ぼくはいま、

 

不安定な状況に身を置くことを恐れている。

仲間の役に立てないことを恐れている。

愛しい人と離れてしまうことを恐れている。

誰かに傷つけられることを恐れている。

誰かを傷つけてしまうことを恐れている。


恐れは、不安を生む。

恐れは、怒りを生む。

恐れは、嫉妬を生む。

恐れは、焦りを生む。

恐れは、執着を生む。


でも、ぼくはいま、

自分自身に「恐れるな」とは言えない。


何かに恐れを持っている人にも、

「恐れるな」とは言えない。


ただ、その恐れを受け止めて、

認めようとは思うし、言える。

 

認めて、手放す。

それが難しいんじゃんね(笑)

 

恐れがあってもいい。

そんな自分を認める。

 

もし、あなたも何かを

恐れているのなら、

そんな自分を大切にしてほしい。

 

自分だけで出来ないとしたら、

誰かの力を借りたら良い。

 

少なくとも、

ぼくはここにいます。

 

 

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子ども

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「母性本能」というものがあるとして。

ひょっとしたら、実は

「父性本能」なんてものも

あるのかもしれない、と最近思う。

 

ぼくは長いこと、子どもが嫌いだった。

特に、ぼくは自分の子どもなんて

要らないと想って生きてきた。

 

だから、以前は結婚していたけれど

子どもを積極的に作ろう、

という氣にならなかった。

 

そもそも、

「子どもを作る」という表現も

あまりしっくりこないのだけれど(笑)

それはともかく。

 

そんなぼくだったにも関わらず。

 

離婚して1年ほど経ついま、

子どもがとてもかわいい(笑)

 

これは、ぼくの中の父性本能が

目覚めはじめたからなのかも、

と感じている。

 

子どもたちを見ていると、

無条件に幸せな氣持ちになれる。


昔は、わがままでうるさくて

勝手気ままで

人の言うことを聞かない

はた迷惑な存在、

とすら思っていたのに、だ。


人は変わる(笑)。


いま、ぼくは、彼ら・彼女らが

感じるままに、自由に、

楽しく生きられる世界を

提供してあげたいと思っている。


以前、こんな記事を書いた。

 

abenob2010.hatenablog.com


この記事を書いたのが、

二年前の今日(!!)


ぼくと関わる子どもたち、

接点のある子どもたち全員がぼくの子だ、

という氣持ちは変わらない。


だから、

ぼく自身の子どもが

今後やってくるにしろ、こないにしろ。


ぼくは子どもたちのために

いまを真剣に生きようと思っている。


ぼくが生きたいまが、

彼ら・彼女らの未来につながる。


わしの子たちのために、

どんな世界を遺すか。遺したいか。


それこそ、理想を描いて、

いまを生きていく。

未来に、より良い世界を遺すために。

 

 

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ネガティブ


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このブログを読んでいるあなたなら

薄々どころか、割とはっきりと

氣付いていると思うけれど、改めて言う。


ぼくはもともと、ものすごく

ネガティブ思考なひとだった。


物事を悲観的に捉えたり

ひとを羨ましがったり

物事をねじ曲げて解釈したり

ひとを羨んだり、嫉妬したり。


そんな自分がイヤで

ますます自分が嫌いになったり。


でも最近は、だいぶ物事を

ポジティブに見るようになった。


一番大きいのは、

自分の心の動きを、きちんと

捕まえられるようになったこと。


まだ、手に取るようにわかる、

とまではいかない。


でも、自分の心の動きを

把握できるようになってきた。


自分で言うのも何だけれど、

これはぼくにとって大進歩だ。


そんなぼくが最近感じているのは、

ネガティブな感情を取り扱うためには

まず「受け止めてあげる」ことが

必要なんじゃないかということ。


誰かに嫉妬している自分

物事の悪い面を見ている自分

羨ましがっている自分

物事をひねくれた眼で見ている自分

褒め言葉を素直に受け入れられない自分


そんなもろもろを、受け止める。

そうか、そう思ってるんだね、と。

そこにはマルもバツも入れない。

そう感じていることを、ただ受け止める。

 

その上で、少し

視点を変えてみる。


嫉妬しているということは、

そういう人になりたい、なれると思っている

自分がいるんだな、と捉えてみる。


物事の悪い面を見ているということは、

課題発見力があるということだと捉えてみる。


誰かを羨ましがっているということは、

相手の良い面を見つけられる

自分がいると捉えてみる。


物事をねじ曲げて解釈するということは

視点が独特だということだと捉えてみる。


視点を変えると、

ネガティブがネガティブではなくなる。


そう。この世にはネガティブもポジティブも、

実は存在しない。


あるのはただ、事実だけ。

それに色付けするのは、ぼくら自身だ。


ならば。

どんな色を付けてもいい。


ならば。

楽しく、氣分良くいられる色を付けたらいい。


それだけのこと。


Life is beautiful.

この世は、いつだって美しい。


嫉妬も、妬みも、羨ましさも

悲観も、怒りも、悲しみも、切なさも

やるせなさも、無気力も、無力感も。


全てぼくらの中にあるもの。


無くせるもんじゃないし、

無くせばいいってもんでもない。


まず受け止めて、認めて、見方を変える。

 

これはあくまでも、

ぼくはそうしてるよって話。


なにかのヒントになれば。

 

 

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ラブレター


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ぼくのブログはラブレターみたいなもんで
特定の誰かを想定しているわけじゃないけど

 

誰か、ぼくの愛しいひとに届け、
と想っていつも書いている。

 

だから、

誰かになにかが届いたら嬉しいし、
なにかが響いたなら、
ほんとに嬉しい。

 

特定の誰かを想定していないから、
誰に届いても嬉しい。

 

届いた相手が美女でもおっさんでも(笑)
同じように嬉しく想う。

 

と、書いてぼくが想うのは、
ぼくはなにかを伝えたくて、
ブログを書いてるんだなということ。

 

当たり前やないか、と
ツッコまれるかもしれないけれど、
ぼくの極私的な想いや考えや
感情の発露や思考のクセや
氣付いたことや氣付かせてもらったことを
誰かとシェアしたいんだね。

 

それを読んで
あー、わかるとか
なにかに氣付いた、とか
優しい氣持ちになれたとか
言ってくれるのはほんとに嬉しい。

 

ぼくは文章を書くのが好きで
何の苦にもならない。

 

むしろ、文章書くだけならば
いくらでも、どんな文でも書ける(と思う)

 

これは、ぼくのお役割だし、天才性。

形こそ違えど、こういう「天才性」は
みんなに必ず、何かしらあるはず。

 

ブログはダメでも動画配信ならイケるとか
表に出るのは苦手でも、
裏方がめっちゃ強いとか
人と人をつなぐのがすげー好きとか
いるだけで場の空気をいい感じにするとか。

 

あなたには、必ず何かしらの
天才性がある。
それを磨いてあげないと、
あなたの魂がヒマする上に
社会的損失だ、とぼくは想う。

 

自分の好き、楽しい、いくらでもできる、
を追及しよう。
その先に、天才性はあるはず。

 

わからなければ、人に聞こう。
自分以上に、あなたのことを
よく見て、指摘してくれる人が
必ずいる。

 

嫉妬なんてしてるヒマは、
実はない。

 

いや、ぼくだって、

たまにはするけどさ(笑)

 

自分の天才性を磨いていたら、
人の目を氣にしたり、
人と比べるヒマなんてなくなる。

 

そのゾーンで、
凸と凹を組み合わせて、
もっとステキな世界を創造する。

 

そんな世界をぼくはみている。

 

今日は、 

そんな世界を一緒に生きましょうよ、

というラブレター

 

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