「厳しさ」は想像力と共にある
ヤバみ。
ぼくは基本的に言葉なんて時代に合わせて変わっていくものだと思っているので、新しい言葉を聞いても「なるほどね」くらいにしか思わない。
「今どきの若いもんは」とか、「若者の言葉の乱れ」とか言うつもりもない。ただまあ、前にも書いたけれど、新しい言葉が乱発されるときには、少し疑いの目を向けるくらいのものだ。
だから、「ヤバみ」に関しても、目くじらを立てようという気はさらさらない。そもそも、「ヤバい」という言葉自体、元々はカタギの人が使う言葉ではなかった(はず)だから、そこからどう派生しようと、さほど驚くべきことではない。
そんなことを言いつつ、ぼくが最近、自分に対して持っている感情は「甘み」である。
当然、「甘みを抑えた新感覚スイーツ」的な文脈で使われる「甘み」ではない。どちらかと言えば、「ヤバみ」という言葉の発展に近い方向での「甘み」である。
というか、甘みを抑えたら、もはやスイーツとしての存在意義がないような気もするが、それはさておき。
要するに、甘いなあと自覚をしたわけである。
これは、誰かに対して甘いとか、「おじいちゃん、孫に何でもかんでも買ってあげるの止めてちょうだい、甘いんだから」的甘いとか、スピードワゴン的「あまーい」とも違う。
自分が自分に対して甘いのだなと思ったのである。
ぼくらは、仕事をして対価をもらう以上、なにがしかのプロである。プロ野球選手やプロサッカー選手、プロレスラー、プロ雀士、プロゴルファー猿と同じように、プロとしての意識を持たなくてはならない、はずである。
もちろん、ぼくにもプロとしての自覚やプライドはある。でも、まあ、まだまだなんだなとも思う。
自分に甘いということは、その姿勢や考え方が仕事に出る。そうなると、どうしても仕事の成果や結果にも反映される。それで良しとするレベルであれば良いが、そうでなければ淘汰されるしかない。
自分の中に厳しさを持つ、というのは、なかなか難しいことだ。これは単に人に厳しくすれば良いというものではないと(ぼくは)思うし、単に仕事のハードルを上げることとも違う。
そこには「想像力」が伴うのだろうな、と考えている。
ものの言い方や、表現方法、タイミング。その他にも、その仕事がもたらす結果やプロセスに対する想像力。自分がいま、こう動くとどうなるか?といったイメージの力。色々あると思う。
単にストイックに、自分の成果物や他人の評価が辛いことが「厳しい」のとは違う。
どれだけ想像力を駆使して、自分の仕事を俯瞰できるか。それが本当のプロの仕事なのだろうし、「厳しさ」なのだろうと思う。
聞きかじった話だが、イチローさんはある時期からウエイトトレーニングをしないようにしたそうだ。自分が持っている身体のバランスを崩すほど筋力をつけてしまうと、よりプレーに支障が出るから、らしい。
一見すると、ウエイトトレーニングをガンガンやっている方が自分に「厳しい」と言えそうだが、そうではない。俯瞰して、自分を客観視した上で「これはやらない方がいい」というのも、ある種の厳しさだし、プロフェッショナリズムだろう。
いますぐに、ぼくにトッププロの厳しさや俯瞰力が身に付くわけではない。でも、考えて考えて、挑戦して失敗して、身に着けていくしかないなと思っている。
やらないと始まらないし、やらないと上手くならない。
当たり前かつ、それこそ厳しい結論だけれども、近道はない。
本当のプロになるための、想像力を磨くための旅は続く。
全くもって、ヤバみざわである。
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