「非暴力コミュニケーション」を考える(BCC:DAY6)

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DAY6:『NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法』

 

このブログ記事は、「7日間ブックカバーチャレンジ」

との連動企画となっております。

 

基本的には、7日間連続で、ぼくが好きな本、

影響を受けた本をSNSで紹介、その内容をブログで紹介していきます。

 

よって、7日間が終わったら終了する予定ですが、

調子に乗ってもう少し続けるかもしれませんし、

7日間続けないかもしれません。

 

DAY6:『NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法』

(マーシャル・B・ローゼンバーグ 著)

 

 

ぼくらは、錯覚の中で生きている。

 

あれが正しいとか、これが間違っているとか、

自分が正しくてアイツはダメだとか、

あの人はいつも自分の話を聞いてくれないだとか、

三時のおやつは文明堂だとか、

自分の言いたいことが家族に全く伝わらないだとか、

たったひとつ確かなことがあるとすれば君はきれいだとか、

汽車を待つ君の横でぼくは時計を気にしてるだとか、

色々な錯覚で生きている。

 

ぼくにとって、とても大きな錯覚

(そして未だにぬぐい切れていない錯覚)の一つが、

女子にモテないという錯覚である。

 

誰だ、「それは錯覚ではなくて真実だ」と言ったやつは。

 

もとい。

 

ぼくにとってとても大きな錯覚とは、

「コミュニケーションが苦手」というものである。

 

人と話すのが苦手だし、

プレゼンなんてのは苦手の最たるものだし、

「デートに行きませんか」

なんて言葉を発するためには

とりあえずビールを10杯くらい飲んで、

酩酊状態ならないとだし、

人の気持ちを察する、なんてのも不得手である。

 

だからこそ、ぼくは長いこと

人とコミュニケーションを取ることを

最小限にしようとしてきたし、

今でもまだ、その癖が残っている。

 

そんなぼくが、なぜこの本を手に取ったのか、

未だに自分でも謎である。

 

NVCとは、

「Nonviolent Communication(非暴力コミュニケーション)」の略。

 

もちろん、ぼくらは

「おはようございます(ポカリ)」、

「こんにちは(ボコスカ)」

といった具合に、

物理的暴力を駆使してコミュニケーションを取っているわけではない。

 

でも、ぼくらは精神的には、

時に暴力的コミュニケーションを取ってしまうことがあるのである。

 

例えば。

 

「靴下は脱いだら、洗い場に持っていきなさい」

 

うん。一見、普通のコミュニケーションだ。

でも、一方的でもある。

 

(心の中の意訳)

オマエのくそ汚え靴下を

リビングに脱ぎ散らかしてんじゃねえ、

なんで私がオマエの靴下なんぞ拾って

洗い場に持って行かにゃならんのだ、

持って行って洗濯機の中に入れとけヴォケ。

 

・・・という可能性もある。

 

もちろん、発言者の主張は、どこにも非がない。

間違いない。

 

脱いだ靴下は、本来であれば脱いだ者(要は履いていた者)によって

洗い場まで運ばれるべきである。

 

ただ、これが真理であり、唯一の正解である、

という押し付けになりかねないリスクもはらんでいる。

 

続いて、これならばどうだ。

 

「靴下は脱いだら、洗い場に持って行ってくれると私は嬉しい」

 

より、相手に対する攻撃性は

減っているような気がしないだろうか。

 

靴下を脱いだ者(旦那か、子どもかわからないが)も、

そうか、君が喜ぶのなら、靴下を洗い場に持っていこう、

という気になるかもしれない。

 

この本では、自分の感情に責任を持つ、という言い方をする(確か)。

 

例えば、イラっとしたり、モヤっとしたり、

カーっとなったり、ションボリしたり、

とにかく嫌な気分になった時。

 

それは自分の感情なのだ、と認める。

 

その上で、自分はどうしてほしいのか、

自分のニーズはどこにあるのか?を正しく認識して、

それを相手に伝えることをしよう、

というのがNVCの軸にある

(と、理解しているんだけど、合ってるだろうか。

間違ってたら詳しい方、補足プリーズ)。

 

そうなってくると、人のせいにはしにくくなる。

 

「アイツのせいで、こんなにイライラしている!」と思っても、

それをどうすれば解消できるのか、

相手にどう自分のニーズを伝えるか?

と考えるようになると、

一方的に人のせいにはできない。

 

「自分の感情に素直になる」ことと

「自分勝手になる」こととは、少し違う。

 

自分の感情を素直に感じ取った上で、

相手に何を求めるのか、どうしてほしいのか、

どうあってほしいのかを

「こちらのニーズとして」伝える。

 

その上で、相手のニーズも聞く。

そうして、お互いのニーズを出し合った上で、

調和点を見つけていく。

 

こんなプロセスを踏めれば、

コミュニケーションは大分円滑、あるいは

非暴力的になるのではないか。

 

この本はずいぶん前に図書館で見かけて、

衝動的に借りて読んだ。

 

素晴らしい本だと思って買って、

しばらく読んでいないうちに新版が出てた。

 

それだけ、今の時代に求められている

コミュニケーション技術なのかもしれない、

と思ったりもする。

 

コミュニケーションに悩む人、

コミュニケーションについて深く考えたい人、

コミュニケーションを生業にしている人、

コミュニケーションが下手だと自覚のある人は、

ぜひ読んでみると良いと思う。

 

ただ、この手の本の弱点は

「必要そうな人ほど、手に取らない」という点である。

 

「いやいやいや、

オマエとオマエとオマエは

絶対読んどいた方がエエって、マジやがな」と、

急速に関西人化しながら

こちらがいくら思ったとしても、

意外と本人は

「いや、オレには必要ないし」

と思っていたりする。

 

世の中ままならないものである。

 

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