「絶対尊敬」(ぼくが出会った名言集)


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「絶対尊敬」(わもん創始者・藪原秀樹氏&I氏)


自分でも氣付いていない(あるいは氣付きたくない)自分を知って、愕然としたり、自己嫌悪に陥ったりすることはないだろうか。


ぼくはある。しょっちゅう、とまでは言わないけれど、ある。


ぼくは、自分だけで自分のことが全てわかる、なんてことはないと思っている。むしろ、自分のことは自分が一番わからない、とすら思う。

 

だから、人に聞く。あるいは、自分が氣付かないとき、人が教えてくれる。本当に、ありがたい環境に身を置いている。


○傲慢だったぼくと「絶対尊敬」

最近のぼくは、これが立て続けに来ている。今まで自分自身は「こういう人だ」と思っていたものが真逆だったり、実は錯覚だったり。その一つが「ぼくはものすごく傲慢だった」ということがある。


直接的に「傲慢だ」と言われたわけではない(近い指摘は、振り返ってみればあった)し、傲慢が故に誰かと仲違いしたわけでもない。ただ、ぼく自身として、傲慢だったことに氣付かされてしまったのだ。


人間、氣付いてしまった以上、それを意識しないわけにはいかない。そのタイミングで、ぼくの師匠筋であるI氏がくれた(というより、思い出させてくれた)言葉が、冒頭の「絶対尊敬」だった。


「絶対尊敬」とは、聞く力を磨く修練法である「わもん」の創始者・やぶちゃんこと藪原秀樹氏が言い始め、わもんではとても大切にされている言葉である。


絶対尊敬とは何か。このブログでは、『目の前の方の言う事、やる事、考え方存在の全てをありのままに受け止め、すべてを信じ、包み込むような気持ちのこと』と説明している。なるほど。


ぼくは数年前にこの「わもん」の本を読んで、とても感銘を受けた。で、「絶対尊敬すごいな!」と思っていた。だから、この言葉自体は知っていたのに、ここ最近のぼくは全く実践できていなかったのだ。


○傲慢と絶対尊敬の表裏一体

目の前の人の言動、考え方をありのまま受け入れ、尊敬し続ける。これが絶対尊敬。


これをし続けるために、一番何が必要か。


実は、自分自身を「絶対尊敬」し続けることじゃないかと思う。


裏を返せば、人に対して傲慢な人は自分に対しても傲慢だし、逆もまた真なりだ。


ぼくは、自分自身に対して傲慢だったと今思う。


自分を甘く見て、低く見積もって、この程度の人間だよねと思っていた。こういう状態のぼくが誰かと相対したとき、自分と相手との間に「上下」を無意識で作った可能性がある。

 

それは無意識に自分を守るためだったかもしれない。自分よりも下がいると思いたかったのかもしれない。


本来、人間関係はすべてフラットだ。天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず。なのに、なんと天に代わってぼく自身が人に上下をつけていた。そのことに氣付いてしまったのだ。


このことを認めて、こうしてブログに書くのは、人間的にはとても心苦しい。けれど、こういう経験があるんじゃないかと思う。誰しも。でも、それは決して悪いことじゃない。だからぼくは「そういうこともあるよね」と受け止めたい。

 

けれど、ぼくはこの先、他の人を上に見たり、下に見たりして生きていきたくはない。


○当たり前に「絶対尊敬」の先

自分のありのままを認め、絶対尊敬できていない状態で、相手のありのままを絶対尊敬できるだろうか。うん。できるかもしれない。でもそれは、上っ面でしかないだろう。


相手を絶対尊敬し続けていった先に、自分自身を絶対尊敬する境地が来るのか、自分を絶対尊敬し続けたら、相手もそうできるようになるのかは、良くわからない。ただ、表裏一体であることは間違いないと思う。


人間は、つい忘れる。忘れないためには、無意識で「そう」である状態を作るのが早い。そのためには、繰り返すしかない。

 

おかげさまで人間は、有意識、あるいは顕在意識をコントロールすることが出来る。そこから、無意識にアプローチすることだってできる。


だから、ぼくは無意識に誰に対しても「絶対尊敬」の状態でいられる自分でありたい。自分を絶対尊敬し、自分の偉大さを認め、その覚悟を決め、そのゾーンで生き続ける。


自分が偉大で、自分を尊敬することは、実は勇気がいることだ。自分のありのままを認め、自分を尊敬するのが当たり前になれば、このエネルギーを何のために使うのか、と真剣に考えざるを得なくなる。

 

そうすると、世間の評価や常識、人と比べてどうのこうのということにエネルギーを割けなくなる。それは本当に、自分が絶対尊敬している自分がすべきことなのか?という疑問が生まれるんじゃなかろうか。


ぼくはその領域に船を漕ぎ出そうとしている。もちろん、まだ道半ばだ。寄り道もする。難破しそうになって、近くの港に停泊することもある。でも、漕ぎ出そうとしている。


その先の大海原に、きっと素晴らしい何かがあると信じて。

 

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