前提の共有

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「前提を共有すること」の大切さを、改めて教わってきた。

 

ぜん‐てい【前提】

1)ある物事が成り立つための、前置きとなる条件。

2)論理学で、推論において結論が導き出される根拠となる判断。

 (出典:コトバンクデジタル大辞泉

 

 

はい。ここでもぼくは、「前提」の意味を辞書から引用して、読者の皆さんと「前提とは、どういう意味か?」の前提共有を試みたわけだ(そして多分、成功している)。

 

ぼくらは、みんな前提が同じだと思って生きている。

 

「りんご」と言えばあの赤くてシャリシャリした歯ごたえの木の実だろう。

「かね」と言ったら、福沢諭吉新渡戸稲造が印刷されている紙を思い浮かべる。

「かつら」と言えば、頭髪が薄くなった人や髪形を変えるためにかぶる、髪の毛の集まったアレだと思う。

 

ただ、これらは全て「前提」を共有していないとおかしなことになる。

 

「りんご」はひょっとしたら木の実ではなく女性シンガーソングライターで、東京事変のボーカリストかもしれないし、かねはお寺の敷地内に吊るされている、大みそかに鳴らすアレかもしれない。かつらは、かぶるものではなくて、北海道北見市の地名かもしれない。

 

これは単なる「同音異義語」であって、さほど混乱をきたすものではない。ただ、文脈が少しややこしいと、ズレる可能性はある。

 

では。

 

「夢」とは何だろう。

「志」とは?

「幸せ」って何?

「豊かさ」ってどういうこと?

 

この辺になると、かなりややこしくなってくる。

 

「あなたにとって、価値ある人生とは?」

 

なんて質問になると、いよいよ難しくなってくる。

 

どういうものを「夢」と呼び、「志」と言い、「幸せ」と呼ぶか。そして「幸せ」をどう定義するのか。

 

「価値」とは何で、「人生」とは何なのか。

 

こういう様々なことの前提を共有しないまま話をしていると、まあまあの確率でズレていってしまう。良い、悪いではなくて、話が噛み合わなくなってくる。

 

ぼくらはみんな、自分が見たいように、あるいは自分のフィルター、メガネを通してこの世の中を見ている。だから、見え方は人それぞれに違っている。

 

大雑把に言えば

「この世はハッピーに満ち溢れている!」と思っている人もいれば

「この世は辛いこと、問題ばっかりだ」と思っている人もいる。

 

どちらが良いとか、悪いとかではない。

 

そう見ているだけのことである。

 

この二人が世の中のことについて話し合っても、そりゃ話がズレまくるし、合わないに決まっている。まず、そのひとの中にどういう情報が入っているのか。そのひとが世の中をどう見ているのか。そういう前提を共有してから、物事を話すのが建設的である。

 

いやもちろん、これをやるには結構手間ひまがかかる。時間もかかる。だから、関わったひと全員と前提共有するべき!!とは思わない。出来たらやったら良いと思う。ただ、違いに驚かされることは多いかもしれない。

 

ただ、大切なひとや、一緒に仕事をするひと、パートナーと認め合っているひととは、一度前提の共有をしてみてはいかがと思った。

 

そこのズレが解消するだけでも、コミュニケーションや意思疎通が意外とスムーズになるんじゃないかね、と思ったりする。

 

※最近書いているブログの中身の多くは、ぼくが最近学んでいる師匠から教わったものが多いです(違うものもあるけど)。なので、ぼくが100%思いついたものではないものもありますので、あしからず。師匠についてご興味ある方は、お声がけくださいな。

 

 

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