「あの日」のことと、今のこと

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もう9年経つんだな、と思う。

 

9年前の今日、ぼくは当たり前のように会社に行き、当たり前のように仕事をし、当たり前のように打ち合わせをしていたわけだ。

 

そういう当たり前の日常が、この先、

まあずっと続いていくんだろうな、と思ってた。

 

でも、そういう当たり前の日常が、いとも簡単に崩れ去っていくんだな、

ということを知った。

 

あの日が、大きな転換点になったことは、間違いないと思う。

 

ぼくが当たり前だと思っていたことは、決して当たり前ではなく、

永遠に続くように思われたことも、いつかは終わりが来る。

そのことを知るきっかけになったのが、9年前の今日だった。

 

9年前の今日を境に、色々なことが変わった。

それは良いことでも、悪いことでもない。

ただ、色々なことが変わるきっかけになった日、ということ。

それ以上でもそれ以外でもない。

 

いかにぼくらの生活、特に都市生活というものが

脆弱な基盤の上に成り立っているのか、

いかにぼくらは自然の力に対して無力なのか、

いかにぼくらは自分たちが制御しきれないものを

「制御できる」と思い込んでいたのか。

 

そんなことを考えるきっかけになった日だった。

 

あの日を境に、ぼくの人生は、

それまでのルートとは大きく違う方向へ舵を切った。

 

すぐにではなかったけれど、

一生お世話になるんだろうと思っていた会社を辞めたし、

たぶんずっと一緒に生きていくんだろうと思っていた

パートナーとも別の道を進んだし

(ま、今も家族であることに変わりはないんだけれど)、

当時は思いもよらないことを今はしているし、

目に見えないもの、耳に聞こえないものこそを

見る、聞くことがどれだけ大切かと考えるようになった。

 

何度も言うけれど、

それは良いでもないし、悪いでもない。

結果でしかない。

 

ただ、3月11日という日のことは、

たぶん一生忘れないだろうし、

これからも、3月11日が来るたびに、

あの日が転換点だったんだよな、

と思い返すに違いないと思う。

 

たぶん、多かれ少なかれ、多くの人の中に、

3月11日のこと、というのは焼き付いているんじゃないかな、と思う。

じゃあ、何か変わっているんだろうか。

 

何度も言う。

変わることは良いことでも、悪いことでもない。

ただ、自分の理想に近付いているだろうか。

 

ぼく個人のことで言えば、

全くもってまだまだだ。

 

9年前に思い描いた今は、もっと違うものだった。

もちろん、色々なことは変化し続けているけれど、

9年という年月をかけて変化してきたものは、

ぼくが理想として思い描いたものには、まだ遠い。

 

でも、進むしかない。

 

過去に感謝して、未来の理想を描いて、今を生きる。

 

これが、ぼくが思う、人間の本来あるべき姿。

 

別に誰かに強要するつもりもないし、一緒にやろうよという気もない。

ただ、ぼくはその道を進む。それだけ。

 

「あの日」のことを忘れないために。

そのためだけに、この文章を書いた。

誰かに何かが伝わればいいなとも思いつつ。 

 

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