あなたがあなたの世界を創っている
「あなたが目の前のものをどう見るかで、そのものがどうなるか、どうあるかが決まる」と言ったら、どう思うだろう。
「だよね!!」と思った方は、今日の「そのもろ」は読まなくても良いかもしれない(笑)。もう、ぼくの言いたいことは伝わっている。
「んなこたあない」と思った方は、ぜひ、この先もお付き合いいただきたい。
○コンビニのおむすびのおいしさを左右するもの
例えば、コンビニのおむすびは、どこまで行ってもコンビニのおむすびだ。でも、このコンビニのおむすびも、見る側、食べる側の氣分や意識によって、どうとでも変わる。
以下2つのシーンを想像してほしい。
一つ目。真夜中、仕事で疲れ切って明日も朝早く出なきゃいけないから寝たいんだけど、お腹は空いたし、とりあえず風呂に入る前におむすびでも食べとこう、というシチュエーションでコンビニのおむすびを食べている。
二つ目。大好きな恋人と、さわやかに晴れ渡った日に、新宿御苑(あ、ここは円山公園だろうが代々木公園だろうが、どこだっていい。任意の場所を想定してほしい)に行く道すがらでコンビニに寄っておむすびを2個買って、広々とした芝生の上で二人で肩を寄せ合っておむすびを分け合いながら食べている。
この2つのシチュエーションにおける「おむすびのおいしさ」が、果たして同じといえるだろうか、いや、言えまい(反語表現)。
ここでぼくが言いたいのは「ファミマよりローソンのおむすびがウマい」とか「ツナマヨと明太子だったら、そりゃおいしさは違うだろ」とか、「そもそもコンビニのおむすびはおいしくない」とか、そういうことではない。
あくまでも、ぼく個人の感覚(妄想)だけれど、1つめのシチュエーションで食べるおむすびのおいしさを仮に1と置くならば、二つ目のシチュエーションで食べるおむすびのおいしさは少なく見積もっても2000は超えるだろう。てか二つ目のヤツら、うらやましいな(謎の憤り)。
でも、コンビニのおむすびそのものは何も変わってはいない。糖度、塩分、粘度、そういった諸々を抽出してみても、おそらく一つ目のシーンと二つ目のシーンにおけるおむすびの客観的なデータが大きく違う可能性は低い。あっても、誤差の範囲だろう。
こういうことが、ぼくらの世界では当たり前だのクラッカーで起きているのである。
○モノの見方を変える稽古
例えば、「いつも仕事の細かいところを指摘してくる、口うるさい嫌な上司」がいるとする。この人を、あなたがそう見続けていれば、その人はそういう人であり続ける。
逆に「仕事を細部まで確認してくれ、的確なアドバイスをくれる素晴らしい上司」と見れば、そうなる。
別に、ぼくは成功するためには嫌なことを無理してやるべきだとか、我慢しろと言うつもりはない。嫌なことをいくらやったって、そのことが好きでやってる人には、どう逆立ちしたって勝てっこない。ただ、「嫌だなフィルター」を一度外してみることはおススメしたい。
ぼくらのアタマに浮かぶ「嫌だな」という感情は、実は過去データ、あるいは固定観念にすぎない可能性がある。上司が口うるさく何か言ってくる=嫌なこと、みたいな。でも、裏返して考えれば、それだけ時間を使って細かくチェックしてくれ、指摘してくれるということは、大変ありがたいこと、と思える。
的外れな指摘や、こちらの意図がわからないで指示を出してくる場合は、「こちらの意図が伝わらないケースがある」というフィードバックだと思えば、大変参考になる。
いや、ぼくだって100%こういうことがすべてポジティブに受け止められているとは言えない。めんどくさい仕事を振ってくる人にいらっとしたり、女性がぼくを見て微妙な表情を浮かべたのを見て「あああ嫌われたに違いない」と思ったりすることもある。むしろしょっちゅうだ。
でも、何事も最初から完璧にできる人なんていない。練習・稽古を重ねて、上手くなっていくわけだ。どんどん自分が見たい世界、自分が生きていたい環境を自分の意識で作っていくことが出来る。
この世のすべては、ぼくら一人一人の意識が作っている。だからこそ、意識が変われば世界が変わる。
むろん、信じるも信じないもあなた次第だ。でも、ぼくはこっちの方向で試してみている。良ければご一緒に。
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