取りに行くことの大切さ


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取りに行くことの大切さ、というのをこのところ感じている。

 

その「取りに行く」対象は何か、は、色々あるだろう。例えば、セミナーに参加して講師に質問をするだとか、「一人だけセッションしますよ」みたいなときに、真っ先に手を挙げたり。懇親会なんかで、しゃべりたい人、御縁をつなぎたい人に積極的に話にいくなどなど。

 

ぼくはもともと、引っ込み思案というか、遠慮こそ最大の美徳というか、単にチキン野郎というか、そういうのがものすごく苦手だった。ま、このブログを読んでいる人なら「そうだろうね」と思うだろうけど。

 

○チキン野郎との決別

で。ぼくの思考回路はこうだ。例えば、セミナーで一人だけ公開セッションをしますよ、みたいなとき。

 

ぼくよりも、この人と話したい、セッションを受けたい人がいるかもしれない→ぼくが出しゃばるのは良くないから、手を挙げないでおこう みたいな。

 

でも、この遠慮は誰のためにもなってない。ぼくが手を挙げて、ぼくが当たったということは、向こうさんの責任なわけで、こちらが手を挙げたことに起因するわけではない。

 

「ぼくよりも求めてる人がいる」というのも、おかしな話で、必要を感じたからぼくもそのセミナーに参加しているわけで、そこに必要性の大小などあり得ない。

 

要は、ハイっと手を挙げて、当てられたときが怖いのである。質問やろセッションで「オマエ、そんなレベルかよ」と思われるのが怖いのだ。

 

それはひょっとしたら、ぼくが周りをそう見ていた裏返しかもしれない、と思って戦慄した。そんな自分では居たくない。

 

○誰のために取りに行くのか

もう一つは「もはやぼく一人の体、脳ではない」と思い始めているところはある。何のために、誰のために学びを得るのか。以前はあからさまに「自分のため」だった。

 

今はもう、違ってきている。「この学びを、自分がどう吸収して、いかに周りのみんなに還元するか?」を考え始めている。そのためには、一度で得られるものは全て吸収しておきたい。

 

ならば、湧いた質問はぶつけるし、セッションしてくれるなら受けるし、何かくれるならもらいに行くだろう。なぜならば、ぼくが成長すれば、周りもそうなるから。

 

ぼくはいま、そんなことを考え始めた。もはや、そのたもろもろ2.0である。今後も進化し続けるそのたもろもろご期待ください。

 

 

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