本音

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○お知らせ その1○

固定概念を手放して、

人生を楽に楽しく先読みする速読 『楽読』の体験会はこちらから

rth.co.jp

  

○お知らせ その2○

10月25日(木) 19時30分~

宇宙の法則を活かして、 より豊かな人生を送るためのカリキュラム

「リターンスクール」体験会を 東京・お茶の水でやります。

 

ご興味ある方は、 下記フォームからお申込みください。

 

 本音とはなんぞや

友だちと話をしていて、

「本音」とはなんだろね、という話になった。

 

本音とは、文字通り「本当の音」ということだろう。

 

自分が思ったこと、感じたことを

ありのままに表現する、ということ。

 

 

現代社会を生きるぼくたちは、

「本音」を隠して生きることがとても多い(と感じる)。

 

 

本音を出すというのは、

結構勇氣がいる(と、ぼくは思う)。

 

自分の深いところからの音であるわけで、

そこにはおそらく、

自分の弱さや、怯えや、恐れや、悲しみや、

ひとにはあまり見せたくない感情も

含まれている可能性がとても高い。

 

「こんなこと言わない方が良いかな」とか

「こんなこと言ったら、相手が怒るかも」とか

考えてしまうことも多いと思う。

 

自分の本音を押し殺して、

ブレーキを踏みまくって、

ひととコミュニケーションを取っている

ケースも多いんじゃないか、と思う。

 

そう。表面的に上手く取り繕った方が、

相手との関係は良好に、長続きするかもしれない。

 

もちろん、本音だから相手を傷つけて良い、

ということにはならない。

 

ただ、自分の本音を隠して、表面的な付き合いを

続けていくってのも、なんだかねと思ったりする。

 

角度を変えると、

自分の本音に氣付いていないこともあると思う。

 

例えば、誰かに対して激しく怒っているとき。

 

実はその裏側には

自分の寂しさや哀しさ、悔しさ、

あるいは残念な氣持ちがあったりする。

 

そこに氣付く前に(あるいは氣付かないために)、

ひとに対して猛烈に怒ることもあると思う。

 

自分の本音を、怒りという感情に変えて

表現しているわけだ。

 

こういうことも、あるんじゃないかと思う。

正直に言えば、ぼくにはあった。

 

表面的に出てきた感情の裏側、あるいは根底を

丁寧に見ていくことで、自分の本音が

見えてくることもあるかもしれない。

 

で。

 

本音を出さずに生きていくのは、

けっこうしんどい、とぼくは感じている。

 

本当に思っていること、感じていることを

表現できないというのは、なかなかに辛い。

 

ただ、本音のコミュニケーションを取れる相手、

というのは残念ながら限られているとも感じる。

 

さて。

 

あなたは、誰かに本音を出せているだろうか。

自分の本当の音に氣付けているだろうか。

 

もし、答えが「ノー」または「?」だったら、

一度楽読の体験においで、と思う。

 

楽読は、目と脳のトレーニングを通じて、

思考のブレーキを外していく。

 

そうすることで、本音を出せる自分になる。

そして、それを許容してくれる仲間がいる。

 

そりゃそうだ。

みんな同じトレーニングをしてるんだから、

みんな本音を出し合っていることになる。

 

自分は本音を言うけど、ひとには言わせない、

なんてことはあり得ないわけだ。

 

そういう場に身を置くことで、

あなたの中の何かが変わる。

これは保証する。

 

騙されたと思って、一度来てみたら良いと思う。