敢えて「いい」と言わないワークショップ
自戒を(大いに)込めてだけれども、安易に「いい」という表現をできるだけしないように心掛けてみようと思っている。もちろん、反射的に「いいね!」と出るのはアリとして、だし、いいものはいいわけで、物事のポジティブな面、プラスな面を探しに行こうという基本スタンスは変わらない。
なんでこんなことを考えたかというと、一つ目には(あくまでもぼくの場合は)「いい」を発するとき、その裏側に「悪い」がくっついている感覚があったからだ。
一般的には「いい天気」とは「晴れている」状態を指す。もしくは、ちょうどよく日が翳って、さわやかな陽気のことを「いい天気」ということが多い。では、雨の日や曇りの日に「いい天気」とは言わないが、そういう天候が「悪い」かというと、そういうわけではない。
それならば、「氣持ちの良い陽気ですね」とか「日差しが温かいですね」、もしくはもっと端的に「晴れましたね」と言ったら間違いはない。天候に、いいも悪いもない。そこに何かの評価をくっつけているのは、どこまで行ってもぼくたちである。
〇「いい」は器がでかすぎる
もう一つには、「いい」で、何もかも包含出来てしまうと感じたからだ。
「ミスチル、いいよね」
「いいよねー」
「やー。いいよね」
・・・これでは、会話になってるようでなってないし、深まることもない。いや、別に無理にいつも会話を深める必要もないし、ときに、この会話そのものが完璧であることもあるけれど。
何かを「いい」と思ったとき、その背景に自分のどんな感情や氣持ちの動きがあるのかを見に行こう、と思ったのだ。
ぼくが「ミスチル、いいよね」と言ったとき、ミスチルの何を「いい」と思い、どのように感じたのかを(言語として出すかどうかは別として)明確にする練習をしようと思ったのだ。
例えば・・・
・メロディが美しい
・桜井さんの歌がカッコイイ
・桜井さんがカッコイイ
・歌詞に思わず親近感を覚えてしまう
・というか、あなたはオレか!と思うことがある
ぼくがミスチルを「いい」と言うときは、たぶんこんなことが含まれている。
似たようなマジックワードとして「面白い」、「楽しい」あたりもある。
何か会合やイベントに参加して、感想として「楽しかったです」というのは簡単だ。でも、何がどう楽しかったのかを自分の中で(はっきり言語化できないまでも)分析しておいたら、自分は何が好きで、どういうときに楽しめる人なのかがより明確になる。そうしておくと、自分で自分の機嫌を取りやすくなるなと感じる。
これを突き詰めていくと、自分がどんなとき、どんなことをしているときにわくわくするのか、血沸き肉躍る(大げさ)のかが把握できてくる。そうすると、自分をそちらの方に動かしていくことができる。
「あの人がいいと言ってたから」とか「一般的に面白いとされているから」というのは、実は自分自身のグッとくるポイント、オモシロポイントとはズレている可能性がある。
大まかに「なんかいいね」と思ったとき、その真っ芯に何があるのかを探りに行く。そうすると、よりピンポイントで自分が「いい」、「面白い」と感じる要因や要素が見えてくるんじゃないか。
ひょっとしたら、自分が思いもよらなかったところ、意外なところに自分のオモシロポイントがあるかもしれない。それこそが、自分の氣持ちに正直になったり、自分を100%喜ばせるために必要なことかもしれないと思っている。
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