「素直」であるということについて(結果としてパート1)

 

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先月、バリ島に行ってきた。

 

写真は、バリ島のコーヒー農園で試飲したコーヒーの写真。バリ島(インドネシア?)では、コーヒー豆をジャコウネコに食わせて、その豆が消化されずにフンとして出てきたコーヒー豆を「コピ・ルアク」として珍重する。美味しくなるんだそうだ。

 

 

オスとメスで味が違う、と言われて実際飲んでみたけれど、確かに若干違うような氣がしなくもない。ただ、焙煎の違いじゃないかと言われたら、そうかもしれない。

 

ところで、ジャコウネコと関係ないようで関係ある話なんですが、私、某動物病院検索サイトで動物に関するコラムを書かせていただいております。

 

動物に関するオモシロ(←自分で言うヤツ)コラムを連載しておりますので、お時間ある方はぜひ。お時間ない方も、作ってぜひ。ええまあ、ステマになってないステマのようなものです。

(リンク貼り忘れてやんのwww)

 

101animal.com

 

 次はジャコウネコに関するコラムでも書くか(ネタがない)。

 

バリ島のアニキ、丸さんについて

僕がバリ島に行ったのは、いくつか理由はあるけれど、大きな理由の1つが「バリのアニキ」と呼ばれている丸尾孝俊さん(丸さん)に会いに行ったこと。丸さんは『出稼げば大富豪』とか『大富豪アニキの教え』とか、いくつか本が出ているし、

 

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出稼げば大富豪 *3

 

  

大富豪アニキの教え

大富豪アニキの教え

 

 

『神様はバリにいる』という映画にもなった。

 

 

こういう一連の、ある意味「アニキブーム」みたいなものがあった時、僕はヒジョーに醒めた目で見ていた。第一、お金に興味がなかった。次に、大金持ちになったからエライ、というもんでもないだろう。そして、大金持ちのまねをしたって、自分も大金持ちになれるとは限るまい・・・大雑把に言えば、そんなことを考えていた。

 

だけど、ここ最近、僕が信頼・敬愛する人物が複数「丸さんに会って人生が変わった」と言っているのを目にした。へー。そんなことあるのかな。会ってみたいなと思った矢先、チャンスが来たので飛び乗ってみた、というわけだ。

 

で、会った。そして、帰ってきてから丸さんの本も読んでみた。それで感じたことは「この人は素直な人なんじゃないか」ということだった。

 

これは、あくまでも僕の感想で、本人はどう言うか分からない。でも、僕はそう感じる。丸さんはなんでも素直に相手の話を聞く。そして、自分の経験や考えからアドバイスをする。本にも出てくるけれど、丸さんは質問に対してほぼ即答する。それは、考えてないからではなくて、自分の中の答えが素直に引き出せているからだろう、と思う。

 

僕は少なくとも、質問に対して答える際に「この回答は質問の趣旨に合ってるだろうか」、「この答えが相手にとって役に立つものだろうか」ということと同時に「この答えは一般的に受けいれられるだろうか」、「自分のイメージを悪くしないだろうか」てなことを考える(時もある)。自分から湧き出た答えを、そのままスッと出せるときと、出せないときがある。

 

丸さんはたぶん、自分の考え方の軸が構築されていて、その上で自分の答えがスッと出てくるから、どんな質問にもスッと答えるんだろう。そこには飾りも見栄もないから。

 

「素直」とは、なんぞや

後付けではないけれど、経営の神様・松下幸之助さんは、伸びる人、成長する人の共通点として「素直な人」を挙げたらしい。

 

でも、素直というのは、言うほど簡単なものではない。特に僕にとっては、とても難しい。相手の言うことを「素直に」受け取るというのも、決して簡単ではない。

 

「この人はこういうけれど、本当にそうだろうか」
「常識から言って、そんなことはないんじゃないか」
「この人の言うここは受け入れて、ここはちょっとやめとこう」

 

みたいな思考が働く。特に僕の場合は。

 

そして、僕が最近感じている「素直」について言うならば、人の話を素直に聞くことももちろん大切なんだけれど、自分の感情に素直になることも、同じくらい大切じゃないかと感じている。

 

世の中の人は、自分の感情や感覚に鈍感になっていると感じる。もちろん、僕も含めて。

 

敢えて「欲求」、「欲望」という言葉は使わなかったのだけれど、「ラーメン食べたい」という欲求を満たすことが、自分の本当の感情かどうかは、実は分からない。

 

僕の友だちは「なんか」という表現をよく使っているけれど、「なんか氣になる」、「なんかこうしたい」という、理由にはならない「なんか」が、自分の本当の感情や感覚だったりする。

 

「今の仕事は安定してて」とか「この彼氏はルックスも良いし、公務員だし」とか、そういうことに従うのは、自分の本当の感情ではない可能性がある。別に、その世界で生きていくのも構わないけれど。

 

心の底から湧き上がる感情、感覚に素直になれるか。そして、それを大切にして行動できるか。

 

「社会にいる以上は難しいよー」という声も聞こえる。別に否定はしない。ただ、「おお、そういう感情があるんだね」と氣付いてあげてますか?ということだけは問いたい。

 

実際、「バリ島移住したい!今日から!」と思っても、実現するためにはまあ、ハードルが高いかもしれない(やればできるだろうけど)。「金正恩と会談したい!」と言って、実現できるのは、今のところアントニオ猪木くらいだろう(イノキさんでも無理か)。

 

ただ。「お、自分はそんな感情を持っていたんだね」と素直に受け止める機会は持った方がいい、と僕は思う。

 

なぜ、僕がそう思うかと言えば、かつて僕はとてつもなく素直じゃない人だったからで、そのことを書き始めるとまた長くなるので、これは次回に回そうと思う。

*1:調子ぶっこきシリーズ

*2:調子ぶっこきシリーズ

*3:調子ぶっこきシリーズ