必要なのは「走り始め続けること」だ
勇者ヨシヒコで言えば、仏でも出てきそうな空。
ここ数日、ブームが来ている。
まず、何も言わないからこちらを見てみてほしい。
僕はこのところ、毎晩のようにこの曲を聴いている。そして、毎晩のように励まされている。
また竹原ピストルかよ、と思ったあなた。さては!「そのたもろもろ」通ですね!?(すみません)。ええ、またなんですけど、まあ良いじゃないですか。
この「Forever Young」という曲。歌詞がとても良い。
Forever Young
あの頃の君にあって、
Forever Young
今の君に無いものなんて無いさ
そう。僕らはついつい、「昔はこうだった」とか「あの頃はああだった」と言ってしまいがち。「もう若くねーし」とか「昔は無茶できたけど、今はムリ」なんつってることも多い。でも、ピストル(勝手に呼び捨て)はそうは言わない。
「あの頃の君にあって、今の君にないものなんてない」と言い切る。
こんな曲もある。
「オールドルーキー」。ピストル(二度目)は、この曲でこう歌う。少し長めに引用する。
あの頃は、あの頃は、ってやってりゃあ、
そりゃあ酒も旨くなるさだけど俺はやめたんだ
そういうのはもう、やめたんだ
オールドルーキー
そう。過去の栄光にすがったり、あの頃はああだった、こうだったと言い合ってれば、酒は旨いし話は弾む。何一つ悪いことはない。それを続けるも自由、やめるも自由。
積み上げてきたもので
勝負しても勝てねぇよ
積み上げてきたものと
勝負しなきゃ勝てねぇよ
そう。ついつい僕らは、積み上げてきたもので勝負しようとする。もちろん、それが強みであり、特徴であり、その人をその人たらしめてきたものであるというのも、一理ある。でも、そういう「積み上げてきたもの」をぶっ壊して、そいつと勝負して、乗り越えていかなくちゃ、この先勝ち目はないんだよ。
いつまでも今までの延長線上で戦ってても、せいぜい局地戦で勝つのが精いっぱい。今までとは違うやり方で、違う在り方で、今まで積み上げてきたものと勝負して、乗り越えていかなくちゃ。って、オレは誰に話しかけてるんだ?
そして追い打ちをかけるようなこんなフレーズ。
何度でも立ち止まって
また何度でも走り始めればいい
必要なのは走り続けることじゃない
走り始め続けることだ
そう。長いこと僕は「走り続けられない」自分に対して苛立ち、あきらめ続けていた。自分は何をしても続かないし、大成しない。要するに「何者にもなれない」と思って、あきらめ続けてここまで来た。
その結果、おかげさまで僕はサラリーマンとしてそれなりの収入を得、会社の歯車として働き、今を生きている。そして勤め人の割には自由に休みをもらって、好き勝手遊ばせてもらって、悠々自適な毎日を送っている。
けれど。ココロの奥底では、自分は結局「何者でもない」という氣持ちを抱えていた、あるいはいる、らしい。自分でもあまりよくわかっていなかったけれど。
必要なのは、「走り始め続ける」こと。何度ポシャッても良い。その度に、また走り始め続けることができれば。同い年(!!)のピストル(今回3度目)の歌声と歌詞に、勇気をもらっている。
まさに僕はオールドルーキーであって、いや、ルーキーですらまだない。何かの舞台に立っていないからだ。でも、ココから始める。あるいは「始め続ける」。
そして、どんなにささくれ立った
激走のさなかにも
ぬくもりを忘れるな
愛する者へのぬくもりを
オールドルーキー
読んでくださって、ありがとうございます。
走り始め続けます。