人間とは


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人間を人間たらしめているものは何か。

 

1か月以上放置していたブログの書き出しではないと自分でも思うけれど(笑)、そんなことを考えた。

 

もちろん、たくさんある。直立二足歩行の哺乳類であること。道具を使うこと。感情があること。思考すること。

 

それと同時に、「言語を使うこと」も、大きな特徴だとぼくは思っている。ひょっとすると、動物も鳴き声でコミュニケーションを図っているのかもしれないけれど、それはそれとして。

 

ぼくたち人間は、基本的に相手が考えていることや、感じていることを100パーセント察知することはできない。もちろん、人間観察に熟達した人ならば、相対した人の動作、しぐさ、表情、その他様々な情報から察知することはできるだろうけれど。

 

だから、言葉を使うしかない。情報交換をしたり、想いを伝えあったり、自分の感情を出すためには、言葉を使うのが早い。

 

ところが、言葉は万能ではない。自分がいま感じていることが100あるとして、その100を全て言語にできるかと言うと、多くの場合はそうではない。場合によっては90しか言葉にできないこともあるし、それが70になることもあれば、妙な形で120になったりすることもある。

 

言葉はあくまでツールで、大切なのはその人の中にある想いだろうとぼくは思っている。でも、あるいはだからこそ、言葉が大切だとぼくは思っている。

 

言葉にしなければ、伝わらないことがたくさんある。わかってくれていると思っても、言葉にしなければならないことというのも、ぼくはあると思っている。

 

それは、自分のことを相手にわかってほしいから、もある。一方で、相手に自分が思っていることを伝えることが、相手にとって必要ということもある。

 

相手がいま、何を想い、何を感じているのかがわかることで、要らない誤解や、感じる必要のない憤りや哀しみを避けることができるかもしれない。場合によっては、その相手に共感できるかもしれない。

 

「それ、言ってほしかったなあ」と思うことが、ぼくにはある。その想いを聞いていれば、ぼくはもっと、その時に優しい感情で居られたのになと思うことが。

 

もちろん、全ては必要があって起きている。その人が、その時言葉にできなかったのには、それなりの理由や意味があるし、ぼくがそのことを知らずに怒ったり、悲しんだり、寂しがったりすることにも、また意味はある。

 

それでも、だ。

 

それはもちろん、ぼくのワガママかもしれない。だけれども。言葉を発する、いまの感情や感覚を口にすることが、時には相手のためになることもある、ということを言いたい。

 

そのために言葉はあり、文章は存在するんだろうと思っている。

 

ぼくは、言葉の力、文章の力を信じています。

 

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