「『決断』とは『決めて』、『断つ』んです」(ぼくの出会った名言集)


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(ラーメンは断ちません)

 

「『決断』とは『決めて』、『断つ』んです」(N氏)

 

ありがたいことに、ぼくには師匠と呼べる人がたくさんいる。もちろん、それぞれの人に弟子入りすると宣言しているわけではないから、彼らはぼくを弟子だと思ってはいないかもしれない。でも、ぼくはこの師匠筋たちからたくさんのことを得ている。

 

冒頭の言葉は、そんな師匠筋の一人であるN氏からいただいたものだ。

 

ぼくのこのところのテーマは「決める」とか「決めきる」ことに由来するものがたくさんあった。自分では決めたつもりでいても、周りからは「決めてる感じしないよね」と言われることもあった。

 

このあたり、ひょっとすると「は?自分が決めてるんだから、決めてるっしょ」と思う方もいるかもしれないけれど、実は自分が「こうすることに決めた!」と思っていても、心のどこかで保留ボタンを押していることはある。うん、正確に言うとぼくにはあった。

 

最近「人は自分の鏡だな」と切に感じている。人から見て、自分の言動が一致していなければ、それは「違和感」という形で相手に伝わる。

 

「ぼく、自然環境を守りたいたいんすよ!」と熱弁している人が、その辺にごみをポイ捨てしていたら、当然違和感がある。これほどわかりやすくないとしても、人々(まあ、少なくともぼくは)は時に言行が不一致になることがある。しかも無意識に。

 

さて、このへんを書き出すと長くなるので、本題の方に移る。

 

■決めること≒断つこと

「決断」という言葉は「決」と「断」で出来ている。見ればわかる。そりゃそうだ。

 

つまり、「決める」ことは「何か一つの選択肢を選ぶ」ことで、それは「ほかの選択肢を断つ」ことでもある。

 

ぼくらの人生は、小さな選択の積み重ねで出来ている。全て自分で決めて、自分で選んでその道を歩んでいる。大きな人生の岐路や選択肢はもちろん、どんなに小さな選択でも、ぼくらは二度と、その選択自体をやり直すことはできない。

 

例えば、僕らは今日の昼にカレーを食べた選択をひっくり返すことはできない。将来的にタイムマシンが出来たらどうなるかはわからないけれど、少なくとも今のところは。いくら悔やんでも、いくら泣き叫んでも、いくら大金を積んでも、だ。どんなに後から「やっぱラーメンにしておけばよかった」と思っても、もう既にカレーを選択してしまった人生を生きるしかない。

 

もし、ぼくが昼にカレーではなくラーメンを食べていたとしたら、ぼくの人生は変わっていたかもしれない。

 

とてもおいしそうにラーメンを食べるぼくの姿を敏腕CMプランナーが見初めて「彼をどうしてもCMで起用したい」と言い出し、あれよあれよという間にテレビCM出演が決まり、そのCMを見たマーティン・スコセッシ監督が「彼をどうしても次の作品で起用したい」と言い出し、なんだかんだという間にハリウッドデビューが決まっていたかもしれないからだ。

 

でも、ぼくはラーメンではなくカレーを食べた。そして、敏腕CMプランナーもマーティン・スコセッシもぼくの前には現れなかった。

 

■決めるのが苦手

ぼくは今まで、決断することが苦手だった。簡単に言えば「優柔不断」だ。これは、別の師匠筋から見事に指摘された。

 

例えば、飲食店でメニューを決めるのに時間がかかる(ファミレスなんて地獄だ)。結婚していた頃は、「何食べたい?」と聞かれ「何でもいい」と答えておきながら、夕食にうどんが出ると「うどん気分じゃないなー」とか言って、ちょくちょく元奥さんをキレさせていた(今となっては、ほんとに申し訳ないと思うけれど)。

 

要は、決めることで他のあり得たかもしれない選択肢を「断つ」ことへの恐れが大きいのかもしれない。

 

ぼくらの人生は、選択の連続だ。Aを選べば、Bは選べない。カレーを食べれば、ラーメンは食べられない。カレーもラーメンも食べればいい、と思うかもしれないが、それは「カレーを食べずにラーメンを食べた」のではなく「カレーもラーメンも食べた」という第3の選択をしただけのこと。そう、カレーラーメンを食べるのも同じことだ。

 

つまりぼくらは、ある意味では無数にある可能性を断ち続けて生きている。良い悪いではなくて、そういうもん。無数にある可能性の中から、1つを選んで生きていく。だからこそ、楽しい。だからこそ、選択に集中できる。

 

だからこそ、ぼくはこの選択のスピードを上げたいと思っている。どうせどれかを選ぶなら、決めない時間を長く過ごすより、決めた後の時間を過ごす方が、何となく有意義じゃないか、とぼくは考えたわけだ。

 

もちろん、悩んだり、迷ったりする時間が尊く、愛おしいということもあるし、そういう人もいるだろう。それは、それで全く問題ない。決めないこと、迷うこともある種の決断だ。決めないを決めているわけだ。

 

「ぼくはこの瞬間、何を決める?」

 

これを常に、自分に問う。

 

■トレーニングの一環として

「即断即決ゲーム」を、勝手に自分に課している。飲食店に入ってメニューを見て10秒以内に何を食べるかを決めるとか、コンビニでどのパンを買うかを2秒で決めるとか。とにかく決断のスピードを上げていく。迷えば迷うほど、断つものへの執着が増える、氣がする。だからこそ、スピード勝負で決める。

 

剣豪や武士は迷う余裕などなかっただろう。真剣を携えて相手と向き合った時、どう動くか、どう切り込むか、あるいはどう守るか。一瞬の迷いも許されない。それこそ、コンマ1秒で生と死が隣り合わせの世界で生きていたはずだ。

 

それに比べれば、ぼくの決断なんてなんてことないもんだ。直観的に「ハンバーグ!和風ソース!」と答えた後に、「あああ、しかしデミグラスも捨てがたい」と思ったところで、死ぬわけじゃない。

 

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