目に見えるもので、見えないものを整える(富士宣言シンポジウム その2)


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さて、セッション2。セッション2はパネラーが多くて、その分面白い話もたくさんあったんだけど、敢えていくつかはカットする(実は漫画『ガラスの仮面』でおなじみの美内すずえさんも来られて、スゲー興味深い話をしてくれたんだけど、泣く泣く割愛)。

 

セッション2のテーマは「肉体と精神の調和――神聖なる精神を顕現するには」。うむ。見るからに何というか、スピリチュアルというかね(笑)。以前の僕なら、完全に疑いの目を向けていたはずだ。

 

いやはや。人間変わるもんである。これほんとに。人間、いくつになっても変わる。それをあなたが望むなら、だとは思うけれど。

 

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男性性、女性性、そして全体性

僕がこのセッションで面白いなと思ったのは、「大切なのは『ホールネス(Wholeness)』、全体性である」という表現。

 

これを述べてたのは、シート・オブ・ザ・ソウル研究所の共同創立者(余談だけど、「シート・オブ・ザ・ソウル」って日本語で検索すると、エヴァンゲリオンが出てくるんだよね。確かに、シート・オブ・ザ・ソウルだわな、エヴァって)、ゲイリー・ズーカフさん。

 

ズーカフさん曰く、「男性が男性性を、女性が女性性を発揮する、あるいはすべきというものではない」と。僕は以前から、「男性性」という言葉が発するマッチョ感がどうにも苦手だったんだけれど、そうではなくて、調和を取ることが大切だよ、というところにとてもしっくり来た。

 

あと、「コントロールするところに愛は存在しない」というフレーズがあって、僕はこれがとても心に沁みた。どうしても、人は愛ゆえにコントロールしたくなる衝動に駆られる。子どもに危険なことをさせないように、恋人と離れたくないから、自分の目の届く範囲でコントロールする、とかとか。

 

それも愛ゆえなのは分かるけれど、コントロールしようという意思が働いているとき、それはもはや愛ではなくて執着だよね、とも思う。うん。何かこう、グッと来たんだよね。勝手にね。

 

僕は、愛に基づく行動をとりたいと思っているけれど、それが「執着」に変わってしまわないように注意している。それは、愛のようでもはや愛ではないと思うから。

 

「頭・心・体」のバランスを取ることで、クリエイティビティは生まれる

起業家であり瞑想家、そしてカルマキッチンの運営などにも携わっているホセラ・ゴンザレスさんが言うには、体は物質世界に属していて、精神世界・意識世界は物質には囚われない。この間、つまり物質世界と精神世界の間にいる人というのが、いわゆる臨死体験者や、クリエイターなんだと彼は言う。

 

確かに、クリエイター(特に、天才肌の人になればなるほど)は、「創っている」というよりは「創らされてる」または「降ろされている」感覚が強いんだろうなー、と感じることがある。

 

また、彼は2年間のインド生活の中でガンジーの思想について学び、肉体と意識の関係について学んだらしい。その時言ってたのは「外で行う行動が、精神性にも影響を与える」ということ。だから、教育においては「頭・心・手」を使うことが大切だと説く。

 

今までの教育(特に日本の学校教育)は、頭偏重の教育だった。でもそれを「手」を使ってクリエイティビティを発揮したり、心についてもっと学ぶ機会を通じて、よりバランスのとれた人になるんじゃないか、という指摘。

 

これはハコネエコビレッジにいると、本当に痛感する。普段(要するに都会にいるとき)、いかにアタマしか使っていないか、手や心がおろそかになっているかを感じる。

 

都会にいると、お腹が空いたなと思ったらコンビニやファストフードでインスタントに食欲を満たせるし、風呂に入ろうと思ったらボタン一つでいい湯加減、いい湯量の風呂が用意できちゃう。

 

でも、ハコネではそうはいかない。そもそも母屋に到着するまでに15分ほど山道を登って、お腹が空いたら自分で火を焚いて米を炊くか何かしなくてはいけない。風呂を沸かすのだって、当然水をためて火を熾すところから始まる。すべからく、手を使って生きることになる。そうすると、自然と心や感情も動く。そのバランスが取れていることが大切だよ、と。なるほど。

 

目に見えるもので、目に見えないものを整える

また、「肉体と精神の調和」というテーマに合わせて言うと、「外で行う行動が、精神性に影響を与える」という。確かに、禅の世界でも、座禅を組むことや「作務」と呼ばれる日常のお仕事(掃除をしたり、食事を作ったり)をすることで、精神を整えるという考え方がある。武道もそれに近いかもしれない。型があって、それを守ることで、自分の精神を整える。

 

人間、精神やココロのように「見えないもの」を整えるのはとても難しい。「平静でいろ」と言われても、ココロが乱れることはある。でも、身の回りを整理したり、きれいにしておくことで、ココロも整うことはあると思う。履き物を揃えるとココロも整う、みたいなね。

 

そういう意味では、制御しやすい目に見える「肉体」から精神の安静や整頓をするという考え方は、すごく実地的だなと思った。もちろん、瞑想だったり、座禅みたいなものを生活に取り入れるのも良いと思う。

 

いやはや。本当はもっとたくさん面白い話もあったんだけど(オキシトシンの話とかも面白かったんだけどね)、割愛させていただく。ほんとに皆様、ありがとうございます!!