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男性性と女性性との調和と、恐れについて(富士宣言シンポジウム その1)

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先日函館で見つけた、かなりハルク・ホーガン感の強い坂本龍馬像 

 

 

5月12日、ご縁をいただきまして、富士宣言シンポジウム「調和とバランスのとれた世界を共創する」というイベント(?)に行ってまいりました。

 

 

 そもそも、富士宣言ってなんぞ? ですよね。簡単に言うと、人間は本来、愛・調和・英知・美などの神聖な精神を持つもので、一人ひとりがこの精神性に沿って生きることで、真に調和した文明を作りましょー、ということを目指した宣言なんだそうです。詳しくはこちらから。

 

www.goipeace.or.jp

 

で、そこから派生して、真に調和した平和な世界をどうすれば築いていけるかについて、世界各国から集まって話し合い、次世代へのメッセージを発信しようというのがこのシンポジウムの趣旨だそうで。

 

一方的に誰かの講演をずっと聞いているのかなーと思ったらさにあらず。1つのセッションに大体6~8人くらいのパネリストが参加して、それぞれがテーマに沿って考えたこと、感じたことを述べる、というスタイル。そういうセッションが5つ用意されている、と。なるほど、こりゃ面白い。

 

登壇者のプロフィールも、話す内容もバラバラで面白い。前の人が話した内容を膨らませて話す人もいれば、前後関係なくテーマについて話す人、準備してきた話をする人もいれば、インスピレーションで話す人もいた。それぞれに、印象的な話が多かったなー。

 

てなわけで、各セッションについて、印象に残った発言や、聞いて感じたことなどを書いていきたいなーと思っております。

 

■セッション1:女性性と男性性の調和について

セッション1のテーマは「女性性と男性性の調和」。人には男性にも女性にも、「男性性」と「女性性」(後のセッションで「父性」と「母性」という表現も出てきたけれど)がそれぞれあって、その調和についてがテーマ。

 

例えば、元ニューヨーク州訟務長官、オバマ大統領の下で法律顧問・上級政策顧問を務めたプリータ・バンサルさんは、男性性は太陽、女性性は月のようなもの、と表現した。男性性は、エネルギーを自ら放出する、強さを持つ。女性性は、放出されたエネルギーを反射する、柔らかさを持つ。これまでは男性性が社会の中で優位だったけれど、今は女性性のエネルギーが発見される時代になってきたと発言。なるほどね。

 

元駐スイス大使の村田光平さんは父性性の文化は力、母性性の文化は協調や弱者への思いやりが前面に出るもので、母性性文化はイデオロギー的紛争を超えることができる可能性がある、と述べた。

 

■理性・知性を感受性でコントロールする大切さ

また、村田さんの発言で面白いなと思ったのは「男性性として現れるのは理性や知性。それを、感受性でコントロールする必要がある」と。そこから、苦労したり、困難を経験すると感受性が育まれ、自分の世界が広がる、という話があった。

 

この「理性、知性を感受性でコントロールする」という考え方が面白くて(僕はむしろ逆のイメージを持っていた)、とても印象に残った。

 

改めて考えてみれば確かに、理屈や知識、理論武装ばかりで詰められると人は腹も立てるし、反発したくもなる。いくら理屈が正しくても、それが策として最善とは限らない。そして「これがベスト」と押し通せば、角が立つ。

 

そこを感受性を持って、相手がどう感じているか、この発言は相手にどう伝わるかを考えて、コントロールしてあげること、って大切だよねーと。

 

だからこそ、リーダーは女性性と男性性のバランス、調和がとれていることが特に必要なんだろうな、と感じたなー。

 

■何かを「恐れてる」ってことは、自分を生きていないってこと

最後に僕が個人的に感じたことを1つ。「シート・オブ・ザ・ソウル研究所の共同創立者であるリンダ・フランシスさんは、こう言いました。

 

「男性性は能動的、女性性は受動的なもの。自分の中の男性性と女性性の調和が取れていると、地球上の誰とも等しく平等であると思える。そして、恐れを『恐れ』だと認識できて、支配されることがない」。

 

これ、実は僕が会場入りしてからずっと感じてたこととリンクするんですよ。

 

実はこのシンポジウム、基本的にすべて英語で行われたんです。参加者の多くも海外から来てるし。んで、僕は英文科卒業のくせに英語に苦手意識がある。それが、僕の中で「恐れ」であり「劣等感」だったのです(同時翻訳機があったから、シンポジウムの内容を聞いてる分には何の問題もなかったんだけど)。

 

テーマとは少しずれてくるかもしれないけれど、僕はこういう場がとても苦手なんです。いや、以前は苦手だった。

 

「人が大勢いる」、「僕は一人でいる」、「知らない人がたくさんいる」、「僕以外の人たちは、知らない人同士でも何やら、にこやかに話をしている」、「しかも英語」。僕が苦手なシチュエーションのグランドスラムと言っても良いくらい。

 

でも、リンダさんの発言を聞いて、その「苦手」とは「男性性=能動性」を良いもの、「女性性=受動性」は良くないもの、と自分の中で見てたんじゃないの?と感じたのです。

 

自分の中の受動的な部分、能動的に振舞えない自分に、無意識にバツをつけていた。言い換えると「男性性」と「女性性」のバランスが取れてなかった。「自分らしく、自分のままでいる」ことができてない状態だったんだな、と。

 

このことを(別に、彼女は僕に向けて言ったわけじゃないけど)聞いて、妙に「あ、こんなこと思う必要ないんじゃん」と思えた。「何か、恐れを感じてたんだなあ」と、妙に肩の力が抜けたのです。

 

「恐れ」という感情も必要ですよ、確かに。生きる上で、「恐れ」がなかったら、毒蛇やゴリラに無闇に近づいて行ったり、崖すれすれのところを車で走るのに、時速120キロでカーブに突っ込んでいくようなことをする恐れもあるし。

 

ただ、恐れに支配されている間は、自分自身を生きることができない。「自分は恐れを持ってるんだな」と認識することで、自分自身に戻れるんだなあ、と改めて感じたのです。

 

そんな、個人的な印象も強いセッション1でした。

 

さて。セッション1を書いただけで、結構な文字数になってしまった(笑)。ここから何回かに分けて、このシンポジウムのセッションについて、ブログに書きますね。お楽しみに!!!