20160102_わし流映画観賞録「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズ


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(酉年なんで、いっちょ乗ってみました)
 
 
最近は映画を見ることも多いので、今年はちょっと、観た映画のレビューでもしてみようかなと思います。
 
記念すべき第一回目は、たまたま正月に見た「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズです。
 
・・・・・・今更かよ、と思ったあなた。ええ。今更です。というか、今まで観てなかったのかよ、と思ったあなた。ええ、観てませんでした(笑)。
 
たまたま、正月にテレビ(NHK BS)を見ていたら「1」をやっていて、たまたま見たら続けて「2」が始まって。あれよあれよと言う間に3作を立て続けに見てしまったという(笑)。
 

■「当たり前が当たり前でなくなる」型

この映画(というか、シリーズ)の特徴は「タイムトラベルする」ということです(みんな知ってることを、さも大発見のようにキッパリ言うテスト)。これって実は「当たり前のことが当たり前ではなくなる」型の特徴なんですね。
 
要するに「時間は過去から未来に向かって流れている」、「過去のことは変えられない」、「過去に戻ったり、未来を見に行ったりすることはできない」というのは、現時点の我々にとっては「当たり前」のことです。しかし、このシリーズでは主人公で高校生(!)のマーティと、タイムマシンを開発した天才科学者のドクが、過去と未来を行ったり来たりします(「2」なんかは、特に)。
 
また、この映画の主人公たちは1985年に生きているわけですが、1955年や2015年、1885年に行ったり来たりしていくと、「アレ?1955年にはコレってなかったんだっけ?」みたいなことが起こる。
 
それが一番顕著なのは、1885年。
 
「ガソリンがあれば、未来に戻れるじゃん!」
「1885年にガソリンなんかあるか。最初のガソリンスタンドができるのは次の世紀だよ!」
 
みたいな話になる。
 
1985年から1955年に戻っただけでも、結構なカルチャーショックがあるわけで、そういう意味での「当たり前」も当たり前ではなくなっていく。そういう面白さも含めて、物語が進んでいく。そのあたりの作りも、大変良く出来ている。
 

■未来は自分で切り拓くもの

過去や未来に行ったり来たりするわけで、過去にあった出来事によって、未来が(良い方にも、悪い方にも)変わっちゃう、ということが起こりうる。
 
この作品で言えば、「1」の冒頭では冴えないパパと酒浸りのママとして描かれるのに、マーティが過去(1955年、パパとママが出会った頃)に行き、その過去でパパが勇気を振り絞ってあるチャレンジした結果、今(1985年において)イケてるパパとママになっていた、という「もう一つの未来」が提示される。
 
この「過去の選択で、未来が変わる」というメッセージは、本シリーズの中で再三再四語られたり、見せられたりする。その上で、「3」の最後には「未来は白紙だ」とドクに言わせる。そう、どこまで行っても「未来は白紙」なんである。
 
ハリウッド作品が侮れないよなあ、と思うのは、ど派手なアクションや大騒ぎや、ラブロマンスの中にこっそり、ちょっといい話や人生訓のようなものを忍び込ませるところ。それが前面に出ることもあるけれど、隠し味的に供されることもある。「3」は比較的全面的に出した方だとは思うけれど、それでも、説教臭くならないところはさすがだなあと思う。
 

■自分の心に従って行動する

「3」はシリーズ中においても、特に監督(あるいは脚本家、って両方ロバート・ゼメキスだけど)の言いたいことや人生論のようなものが滲み出ている作品だと思うのだけれど、特に私が「おお」と思ったのは、ドクが「未来に帰らないで、1885年に残る」と言い出すくだり。
 
ドクは「私は自分の心の声に従って動く」的なことを言い出す。それに対してマーティは「あんたは科学者だろう?論理的に考えなくていいのか?」的なことを言い、一旦は説得する。はてさて、ドクが最終的に取った行動は・・・というのが、ラスト近くでの見せ場の一つ。
 
常識的に考えれば、1985年の世界からやってきた科学者のドクが1885年当時の世界に住み着くのは、作品中でも登場する「タイム・パラドクス(時間の逆説)」が起こってしまう可能性が高く、本来はやっちゃいけないこと。ただ、1885年の世界で自分の居場所を見つけ、加えて最愛の人まで見つけてしまったドクにとって、本当に未来に帰るのが最良の選択なのか・・・とかとか、そういう問題を突きつける。
 
この世の中に、おそらく「絶対的に正しい」ことなんてものは、存在しない。確かに、100人中99人が「そりゃ正しい」と思うこと、はあるかもしれないけれど、世の中の多くのことは、「どっちとも言えない」ことばっかりだろうと思う。じゃあ、それをどう判断し、選択していくのか。それはもう、自分の考えと信念、それから「心の声」に従うしかないんだろう、と思う。
 
法律だって、どこまで行っても人間が作ったもので、社会が変われば法律だって変わる。ある国では重罪でも、ある国では無罪放免、ってなことだってある。同じ国であっても、ちょっと昔までは「仇討ち」の正当性が認められていたわけで、それを考えると、法律やルールだって、絶対的なものじゃない。だからこそ、自分のアタマで考えたり、自分の心の声に従うことが大切なんだろう、と思うわけです。
 
長くなりましたが、僕が言いたかったのは「バック・トゥ・ザ・フューチャー」面白い!!ということでした(それだけかよ)。