なぜスタートを「切る」のか

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考えてみてほしい。

 

ゴールテープを「切る」のはわかる。

 

あるいは、火蓋を「切る」のも、なんとなくわかる。火縄銃(なのかな)の「火蓋」を「切って」、発砲する。だから、何か物事を始めることが「火蓋を切る」んだろう。

 

では、なぜスタートを「切る」のか。わからない。

 

んだけれど、これについてぼくは大胆な仮説、あるいは思い込みを導入することにした。

 

これはぼくの勝手な思い込みであって、合ってる、間違っているの話ではない。単に「ぼくはそう理解した」というだけの話だけれど、もし共感してくれる人がいたら嬉しい。

 

スタートを「切る」とは、実はスタートそのものを「切っている」わけではないのだ。

 

もちろん、「世相を斬る」のだって実際に真っ二つにしているわけでもないだろうし、そもそも世相を斬れる刀なんてどこにあるんだ、と思わなくもない。

 

それはさておき。

 

では、何を切っているのかと言うと、実は、過去や今までの自分を「切り離す」ことをしているのである。

 

何か物事を始めたり、次のステップに行くにあたっては、時に、それまで自分が持ち続けてきた何か、それはひょっとしたら成功体験かもしれないし、執着して握りしめていた想いかもしれないし、過去の栄光かもしれないし、栄光の架け橋かもしれないし、明光義塾かもしれないし、ヘラクレスの栄光かもしれない。あるいは、狩野英孝かもしれない。いや、それは違う。

 

ともかく。それまでの何か、特に「自分自身」を切り離さないと、新しいところに移れないということは多分にある。というか、ひょっとすると、それこそが本当の「スタート」なのかもしれない。

 

もちろん、以前やっていた何かを続けながら、新しい何かを始めるということだって可能だ。狩野ではない。でも、本当の本当に新しい「何か」を始めるにあたっては、過去の経験や知識や栄光や、今までの自分を形作ってきたものを切り離す必要があるのかもしれない。

 

過去は過去だし、その時に上手く行ったこと、成功したことはそれでいい。しかし、新たにスタートすることは未来であり、言い換えれば現在である。

 

未来は過去の延長線上にあるとは限らない。現在と陸続きになっている。新しいことを始めるにあたっては、過去を引きずるよりも、未来から現在を見た方がいい。

 

ぼくの若い頃(というのも何だけど)は、偏差値の高い高校に入り、偏差値の高い大学に入り、大企業に就職するのが幸せになる道だと信じて疑っていなかった。

 

でも、今の状況を見てみて、どうだろう。大企業に就職したとしても、その会社がいつ倒産するともわからないし、自分の輝かしい未来を約束してくれるというわけでもない。

 

過去の経験から未来を描いてみても、限定的な未来しか描けない。だからこそ、スタートに際しては過去を「切る」べきなんだろうとぼくは思っている。

 

過去を断ち切るのは、とても難しい。それが自分にとって、スイートな思い出であればあるほど、人はそこに執着するし、留まりたいと願う。

 

その気持ちはよくわかる、というか、ぼく自身がそうだった、と思う。

 

だからこそ、「切る」決意が必要なんだろう。

 

そう、言わずと知れていることだけれど、このことをぼくは、自分にこそ言い聞かせている。 

 

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