自分の選択に自信を持つこと
(銀座なう的な)
■大変なことに気付いてしまいました。
飲み歩いてます(ウーロン茶を)。
昨日は、友だちの友だちの皆さんと。今日は今日で、たまたまのタイミングで、大好きな仲間とさし飲み。いやー。どっちも楽しかった。
んで。先週の金曜日には『永い言い訳』という映画を見まして。この映画と、2つの飲みを通じて、ハタと気付いたことがあるのです。
それは「自分の選択に自信を持っていないと、人は気持ち悪いことになる」ということ。表現は何ともアレですが、今のところ他に良い表現が思いつかないんで、勘弁してつかあさい。
昨日は、友だちの友だちの皆さんと。今日は今日で、たまたまのタイミングで、大好きな仲間とさし飲み。いやー。どっちも楽しかった。
んで。先週の金曜日には『永い言い訳』という映画を見まして。この映画と、2つの飲みを通じて、ハタと気付いたことがあるのです。
それは「自分の選択に自信を持っていないと、人は気持ち悪いことになる」ということ。表現は何ともアレですが、今のところ他に良い表現が思いつかないんで、勘弁してつかあさい。
■モテる人の共通項とは。
私の周りには、男女問わず、おモテになる方が多い。今日さし飲みした仲間も、まあモテる。異性からはもちろんだけれども、同性からもモテてる印象がある。そういう人が、僕の周りにはたくさんいる。そういう人の共通点を探っていくと、どーも「自分に自信がある」ということに行き着くわけです。もっと言うと、「自分の選択に自信を持っている」。
おモテになる方は自分の選択に自信があるから、どんなシーンでも堂々としている。長年「モテない党」の党首を務めてきた経験のある、筋金入りのモテないくんだった私(あ、アイツ見栄張って過去形にしやがったな、とか言わない)から見ると、「わー、大丈夫かよ」と思うようなことを、平気で言ったりやったりする。しかも、相手も別に悪い気はしてない、ということがしょっちゅう起こる。
一方、モテないくんは自分の選択に自信を持てない。だから、相手の出方や顔色をうかがってしまう。「これで良いのかな」、「こんなこと言ったら嫌われないかな」、「こんな感じで良いのかな」と、オドオドしてしまう。その自信のなさが相手に伝わって、結果として「なんか気持ち悪い」になってしまう。
例えば、だ。モテるくんとモテないくんが、別々に異性とお食事に行くとする。その時、行先としてもつ焼き屋さんを選んだとしよう。モテるくんは「このお店、美味しいし、安いし、すごく良いんだよ」というトーンで異性に伝える。一方、モテないくんは「女性をもつ焼き屋さんになんて連れて行って良いのかな」、「もっとデートっぽいところに行った方が良いかな」と、自分の選択を疑い出す。うん。結果は大体見えてくるよね。
むろん、相手の好みやニーズを事前に把握しておくことは最低限必要でしょう。お肉や内臓系が苦手、という人をもつ焼き屋さんに誘うのはやっぱりダメだろうし、それで「いやあ、ここのレバーが最高なんだよ」と言われても・・・というのはあるかもしれない。でも、その辺もリサーチした上でならば、そのチョイスは全然アリじゃないかと。んで、自分の選択を信じられるかどうか。
おモテになる方は自分の選択に自信があるから、どんなシーンでも堂々としている。長年「モテない党」の党首を務めてきた経験のある、筋金入りのモテないくんだった私(あ、アイツ見栄張って過去形にしやがったな、とか言わない)から見ると、「わー、大丈夫かよ」と思うようなことを、平気で言ったりやったりする。しかも、相手も別に悪い気はしてない、ということがしょっちゅう起こる。
一方、モテないくんは自分の選択に自信を持てない。だから、相手の出方や顔色をうかがってしまう。「これで良いのかな」、「こんなこと言ったら嫌われないかな」、「こんな感じで良いのかな」と、オドオドしてしまう。その自信のなさが相手に伝わって、結果として「なんか気持ち悪い」になってしまう。
例えば、だ。モテるくんとモテないくんが、別々に異性とお食事に行くとする。その時、行先としてもつ焼き屋さんを選んだとしよう。モテるくんは「このお店、美味しいし、安いし、すごく良いんだよ」というトーンで異性に伝える。一方、モテないくんは「女性をもつ焼き屋さんになんて連れて行って良いのかな」、「もっとデートっぽいところに行った方が良いかな」と、自分の選択を疑い出す。うん。結果は大体見えてくるよね。
むろん、相手の好みやニーズを事前に把握しておくことは最低限必要でしょう。お肉や内臓系が苦手、という人をもつ焼き屋さんに誘うのはやっぱりダメだろうし、それで「いやあ、ここのレバーが最高なんだよ」と言われても・・・というのはあるかもしれない。でも、その辺もリサーチした上でならば、そのチョイスは全然アリじゃないかと。んで、自分の選択を信じられるかどうか。
■映画が客観的にえぐり出す「何か」
『永い言い訳』の主人公は(これは私個人の見方です、あしからず)、とにかく自信がない。だから、ひねくれてしまっている。むろん、そういう人がモテることもあるかもしれないけれど(事実、この映画の主人公はモテたりする。ま、男前だしな)、現実社会では極めてレアなケースと言っていいと思う。
映画だと、そういう部分を客観的に見ることになる。んで、自分の選択に自信が持てなくて、人の顔色をうかがっちゃう傾向にある私なんかは「ぐぬぬ」となる。
「あー、こういうの、私もやってるわー」とか「うわ、こんな風に見えるんか、私」みたいのが、映画の中でゴロゴロ出てくる。その結果、自分の選択に自信を持ってないことが、どれほどみっともないか(というと、身もふたもないのだけれど)がわかってくる。
■てな話を、さし飲みしながらしたし、考えた
そういや、「小さな選択を積み重ねることについて」なんていう記事を書いたこともありましたが(そんなに前じゃないな)。次のステップとしては、自分はこうしたいから、こうするんじゃ!という、自分の選択に自信を持つことなのかなと。
これを教えてくれたのは、さっきから出てきている、さし飲みした仲間でした。自分の軸をしっかり持って、自分の選択に自信を持つことで、色々変わってくるんじゃない?と。
確かに、今までの私は他人に「合わせに行く」ところがありました。自分の意見を明確にするよりも、相手に合わせてきた。「こうした方が、丸く収まるんだろうな」という選択をしてきた。だからこそ、「これで大丈夫かな」と、相手の顔色をうかがってきたわけだ。
というわけで、今後は自分の選択を信じるために、他人に合わせに行くのは100%止める・・・とまでは言えないけれど、基本的には自分の感情に素直になろうと。その上で、自分の選択は間違ってないと信じようと。
その結果、何が見えてくるかは今のところはサッパリわかりません。ただ、私にとってのチャレンジであることは間違いない。そうすると、きっと選択の仕方や決断のプロセスも変わってくるはず。それはそれで、楽しみだったりもするわけです。
自分の選択に自信を持つために、どういう判断のプロセスを経ていくべきか。今まである意味、人に寄りかかって判断していたところを、自分に引き戻す作業になりそう。うん。えーと。頑張ります(笑)。