自分

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ぼくの大好きな宇宙が、

こんなことを言っていた。

 

「自分が我慢してるひとは、

ひとにも我慢を強要しがちである」

 

この言葉に、ぼくはボエーと響いてしまったのだ。

なぜならば、かつてのぼくがそうだったから、

に他ならない。

 

かつて(そう昔ではない)のぼくは、

約束は守るべきだし、

常識に反することはすべきではない。

 

自分勝手な行動を慎んで、

集団やみんなの秩序を守ることが

大切だと思っていた。

 

そのために、自分のちょっとした欲求や

ちょっとした希望なんていうのは

我慢すべきである、と思ってたのである。

 

で、自分は(ある意味好きで)我慢してたのに、

それを、ひとにも強要していたわけだ。

 

でもこれ、全てそうかもしれない、と

いまになって感じるのである。

 

ひとは、自分にしていることと同じことを

他のひとにもしがちである、という仮説。

 

例えば。

自分が何かを我慢しているひとは、

ひとにも我慢を強要する。

 

自分の氣持ちや感情を許容しているひとは、

ひとの氣持ちや感情をも許容できる。

 

自分の欠点を多く見るひとは

他のひとの欠点も氣になる。

 

自分の良いところにフォーカスするひとは

ひとの長所をよく見る傾向にある。

 

自分の実力や才能を信じているひとは

ひとの才能も信じ、応援できる。

 

自分の性格を決めつけているひとは

他のひとのことも決めつけているかもしれない。

 

自分のことが嫌いなひとは

人間全般が嫌いであることが多い氣がする。

 

自分のことを本当に愛しているひとは

ひとのことも深く愛せるのかもしれない。

 

これらは、あくまで仮説に過ぎない。

 

ただ、少なくともぼくはかつて、

自分のことが大嫌いであった。

 

生まれてこなければよかったし、

生きていても辛いし、

資源の無駄遣いになるくらいなら

いっそ死ぬかと思っていた時期がある。

 

まあ、思春期ならではの自殺願望

と言えば、そうなんだけれど。

 

にしても、自死を考えるってのは

まあまあハードではある。

 

その頃は、ぼくはひと(人間)のことが

あまり好きではなかったし、

心を許せる友人も少なかった。

 

自分のことがあまり好きではないから、

周りのこともあまり好きにはなれない。

だから、当然周りからも好かれない。

 

負のスパイラルではある。

 

ただ、ぼくは実際に死を選ぶことはなかった。

どこかで自分を信じていたし、

自分が好きだったから、なんだろうと思う。

 

それは裏を返せば、

少ないながらも信じられる、

信頼できる友人や仲間がいたから、だろう。

 

いま、ぼくは自分を

さらに信じ、認めようとしている。

 

取り組みの真っ最中と言ってもよい。

 

そうすることが、さらに深く、

他のひとを信じ、認め、愛することの

第一歩になりそうだと思っているから。

 

いつもありがとうございます。

 

 

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