ミスチルの『HANABI』を再発見した話


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(いつどこで撮ったかも分からない、不思議な雲)

 

こないだ、久しぶりにカラオケに行ったんですよ。んで、カラオケって、人が歌ってるところを凝視するのもなんだし、自分が歌う曲を探してばっかりってのもなんだから、結構画面見たりするじゃないですか(しません?)。

んで、友達がミスチルの「HANABI」を歌ってたんです。この曲自体は知ってたんですが、じっくり歌詞をみる機会はなかったのです。

 

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で、冒頭からやられました。

どれくらいの値打ちがあるだろう?
僕が今生きているこの世界に
すべてが無意味だって思える
ちょっと疲れてんのかなぁ

およそポップスの歌詞とは思えない始まり方です。だいたい、一言目から、自分が生きる世界の値打ちを問うことあります?

 

「おはよー」

「おはよう。お前さ、この世界にどのくらいの値打ちがあると思う?」

 

うん。会話にならない。

しかし、考えるわけですよ、実際は。私だって。世界からは紛争や争いが絶えず、人は相変わらずカネやら名声やら何やらで争い続けている。そして、自然をぶっ壊し、生態系をぶっ壊し、下手すりゃ人間同士でぶっ壊し合う。なんだこりゃと、確かに思う。こんな世界に値打ちなんかあるのかと。

 

そして桜井は静かに問いかける

一体どんな理想を描いたらいい?
どんな希望を抱き進んだらいい?
答えようもないその問いかけは
日常に葬られていく

ほんとコレ。世の中に対する疑問や不安やなんやらかんやら、色々頭には浮かぶんだ。どんな世界が理想なのか。どんな希望を持てばいいのか。でも、答えは出ない。で、その問いかけは多くの場合、日々のあれこれに押し流されていくわけだ。

 

私は今のところ会社員で、安定した収入を得ることが出来ていて、しかも休暇は比較的自由に取れる職場で、今月なんぞ半月くらいしか稼働しないのに、キチンと給料は支払われる。不満なんぞ持ちようがない。

 

ただ、こういう生活を続けることが、理想の世界を作ることにつながるのか?自分が本当に望む生活に近付いているのか?それはサッパリ分からない。近付いていない、と断言もできない反面、近付いている!と自信を持って言えない自分もいるわけだ。

 

だから、答えのない問いかけは、日常に押し流されていく。そして、日常をこなすように生きていく。悪いことじゃない。でも、良いことなのかもよくわからない。

 

この世界を愛せるか?

 で、ちょっと飛んでサビの終わり際。

誰も皆 悲しみを抱いてる

だけど素敵な明日を願っている
臆病風に吹かれて 波風がたった世界を
どれだけ愛することができるだろう?

 

うむ。確かに悲しみを抱いている。そして、素敵な明日を願ってる。そこに畳みかけるこのフレーズ。あまりにグッときたので、再度引用するよ。

臆病風に吹かれて 波風がたった世界を
どれだけ愛することができるだろう?

確かに、今の世の中は「臆病風に吹かれて」、「波風が立った」状態のように見える。イギリスのEU離脱にしろ、日本の「9条」改定にしろ、アメリカでのトランプさんの台頭にしろ、僕の目には「臆病風に吹かれて 波風が立った世界」に見える。

 

もちろん、色々な立場や色々な意見があることは承知している。また、色々な考え方があることも理解しているし、尊重する。ただ、僕の目からはそう見えるということだ。そして、その世界を「どれだけ愛することができるだろう?」。

 

いやーーーー。今のところ、僕はこの世界を「愛する」ことはできていなかったと思う。この問いかけは、ちょっと深い。

 

最後に、この歌詞を引用して、この記事を終わりたいと思います。

笑っていても 泣いて過ごしても
平等に時は流れる
未来が僕らを呼んでる
その声は今 君にも聞こえていますか?

 

そう、僕らが笑っていても、泣いて過ごしても、変わらずに時間は過ぎていきます。そして、流れ去った時間はもう二度と帰ってくることはない。昨日をもう一度体験することはできないし、その時に下した選択をやり直すこともできない。

 

僕には今、未来の声が、聞こえているだろうか。

未来の声を聴くことが、できているのだろうか。

さて、あなたは?

 

なんつって、問いかけで記事を終えるのはズルいなあと思いつつ、やりたくなってしまう衝動もあったりして。

 

いずれにせよ、この世で時を刻んでいくのならば、笑いながら過ごしていたいものだよねとも思いつつ。

そして、未来の声、あるいは、自分自身の内側から湧き出、溢れ出す声を聞いて生きていきたいと思っております。