決めたらそうなる

 

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10月25日(木) 19時30分~

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 決めたらそうなる

 

「人間の氣分にも重力がかかってる」

もはや誰に聞いたかも忘れたのだけれど、

ぼくはこの言葉がとても好きというか、

とてもわかりやすいなと思っている。

 

人間、いつでもハッピーで、

いつでも明るく前向きで居続けられる、

というわけではないと思っている。

 

でも、ひとによっては

いつも明るく前向きで、

上機嫌なひともいる。

 

じゃあ、いつでも上機嫌なひとたちは

何もせずに、明るくハッピーで

上機嫌で居続けられるのか?

 

というと、そういうわけではないんだと思う。

 

人間の氣分にも重力がかかっている。

ほっとけば、だんだんと落ちてくる。

 

良い状態のときは良いけれど、

だんだん、落ち込んだり、ふさいだりする。

 

いつも上機嫌なひとたちは、

その落ち込んだり、ふさぎ込んだりするのを

常に上げ続ける努力をしてるんだろう、と思う。

 

どうしたら、自分の氣分を上げ続けられるのか?

答えは簡単。

 

「上を見続けていれば良い」

 

自分のテンションが上がること、

自分の氣分が良くなること、

自分の機嫌が上向きになること。

 

そのことに視点を向けて、

そこに常にフォーカスする。

 

あとは、身体から上機嫌にしていく、

という手もある、と思ってる。

 

例えば、笑顔でいる。

あるいは、ちょっとだけスキップしてみる。

上機嫌な状態を身体で表現する。

 

それだけでも、氣分の下がり方は変わる。

 

以前、うつむいた状態で

「私、元気!」と言ってみたり、

逆に腰に手を当てて、上斜め45度あたりを見て

「私、落ち込んでる!」と言ってみるという

身体ワークをやったことがある。

 

どちらも無理だ。

 

つまり、案外人間の脳は騙されやすくて、

明るく振舞っていると、何となく明るい気分になれる。

 

きっついことを言えば、

あなたの氣分が下がっているときは、

あなたが氣分を下げたいと思っている。

 

そんなことないわ!と思うかもしれないけれど、

少なくとも、ぼくの場合はそうだった。

 

いやだな、を見れば、いやだなが増幅されるし、

コイツ嫌いだな、を見れば、嫌いが増幅される。

 

悩んでるひとは、悩みたいんである。

悲しみにくれているひとは、悲しみたいんである。

ひとを嫌ってるひとは、嫌いになりたいんである。

 

誤解しないでほしいのだけれど、

これは決して悪いことじゃない。

 

自分の感情に素直になることは、

大変良いことだとぼくは思っている。

 

ただ、悲しみや、怒りや、嫌悪感や、苛立ちや、

そういうものを見続けているうちは、

その感情に支配され続ける。

そこから抜け出すことはできない。

 

これは、ぼくが身を以って体感したことだ。

 

自分がどんなにひとに腹を立てて、嫌いになっても、

相手はさほど気にしていない、なんてこともある。

そんなことは、ざらにある。

 

だとしたら、その感情を持ち続けるか、

それとも、自分の機嫌を取る方を選ぶか。

 

いや、そう簡単な話じゃないのもわかってる。

けれど、ぼくは自分の機嫌を良くする生き方を選ぶ。

 

決めたら、そうなる。

楽しんでいきまっしょい。

やさしい

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「やさしい」ってなんだ


「やさしさ」について考えた。

我ながら唐突だ。でもまあ、いつもそんなもんだ。

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本音

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 本音とはなんぞや

友だちと話をしていて、

「本音」とはなんだろね、という話になった。

 

本音とは、文字通り「本当の音」ということだろう。

 

自分が思ったこと、感じたことを

ありのままに表現する、ということ。

 

 

現代社会を生きるぼくたちは、

「本音」を隠して生きることがとても多い(と感じる)。

 

 

本音を出すというのは、

結構勇氣がいる(と、ぼくは思う)。

 

自分の深いところからの音であるわけで、

そこにはおそらく、

自分の弱さや、怯えや、恐れや、悲しみや、

ひとにはあまり見せたくない感情も

含まれている可能性がとても高い。

 

「こんなこと言わない方が良いかな」とか

「こんなこと言ったら、相手が怒るかも」とか

考えてしまうことも多いと思う。

 

自分の本音を押し殺して、

ブレーキを踏みまくって、

ひととコミュニケーションを取っている

ケースも多いんじゃないか、と思う。

 

そう。表面的に上手く取り繕った方が、

相手との関係は良好に、長続きするかもしれない。

 

もちろん、本音だから相手を傷つけて良い、

ということにはならない。

 

ただ、自分の本音を隠して、表面的な付き合いを

続けていくってのも、なんだかねと思ったりする。

 

角度を変えると、

自分の本音に氣付いていないこともあると思う。

 

例えば、誰かに対して激しく怒っているとき。

 

実はその裏側には

自分の寂しさや哀しさ、悔しさ、

あるいは残念な氣持ちがあったりする。

 

そこに氣付く前に(あるいは氣付かないために)、

ひとに対して猛烈に怒ることもあると思う。

 

自分の本音を、怒りという感情に変えて

表現しているわけだ。

 

こういうことも、あるんじゃないかと思う。

正直に言えば、ぼくにはあった。

 

表面的に出てきた感情の裏側、あるいは根底を

丁寧に見ていくことで、自分の本音が

見えてくることもあるかもしれない。

 

で。

 

本音を出さずに生きていくのは、

けっこうしんどい、とぼくは感じている。

 

本当に思っていること、感じていることを

表現できないというのは、なかなかに辛い。

 

ただ、本音のコミュニケーションを取れる相手、

というのは残念ながら限られているとも感じる。

 

さて。

 

あなたは、誰かに本音を出せているだろうか。

自分の本当の音に氣付けているだろうか。

 

もし、答えが「ノー」または「?」だったら、

一度楽読の体験においで、と思う。

 

楽読は、目と脳のトレーニングを通じて、

思考のブレーキを外していく。

 

そうすることで、本音を出せる自分になる。

そして、それを許容してくれる仲間がいる。

 

そりゃそうだ。

みんな同じトレーニングをしてるんだから、

みんな本音を出し合っていることになる。

 

自分は本音を言うけど、ひとには言わせない、

なんてことはあり得ないわけだ。

 

そういう場に身を置くことで、

あなたの中の何かが変わる。

これは保証する。

 

騙されたと思って、一度来てみたら良いと思う。

「伝える」と「伝わる」


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残念ながら、ぼくには

ひとに何かを伝える能力が

まだ足りてないんだなあ、と

思うことが最近立て続けにあった。

 

これは、スキルの問題だけではない。

むしろ、人間性かもしれない、と思っている。

 

例えば、全く同じことを言ってたとしても、

尊敬しているAさんから言われたら

スッと受け取れるけど、

そうでもないBさんから言われても

受け取れない、ということはある。

 

というか、ぼくにだってある。

 

だから、仕方がない。

 

ということは。

 

相手に自分が言いたいこと、伝えたいことが

相手に伝わらないということは、

結局、ぼく自身の「伝える力」がその程度、

ということに他ならない。

 

残念ながら。

 

そんなこんなで。

 

ひとに何かを伝えるときに、

必要なことは何だろう、と考えた。

 

話術なのか、

論理的思考や展開なのか、

説明のわかりやすさなのか。

 

うん。そういう要素ももちろんある。

 

でも、結局は、

伝えようとするひとの

「想いの強さ」や「想いの純粋さ」

なんじゃないか、と思った。

 

それを「迫力」と呼ぶひともいれば、

「説得力」というひともいる。

あるいは「熱量」というひともいるかもしれない。

 

「オーラ」とか「波動」とか

「バイブス」というひともいるだろう。

 

ともかくも。

 

そういう言語の範疇を超えたところにあるものが、

相手に想いが伝わるか、伝わらないかを左右している。

 

そんなことを考えた。

 

からして。

ぼくは言語以外のものも、磨き続けたいと思う。

 

なんのために?

 

ぼくが感じている「何か」を

誰かに伝えることが、

ぼくにとっての喜びだから。

 

そして、その相手にとっても、

きっと何か役に立つはず、と

ぼくが勝手に想っているから。

 

自分のことは、自分ではわからない。

ぼくは、そう思っている。

 

それは、ぼく自身もそう。

そして、ひとに対してもそう感じている。

 

つまり、相対した相手のことについて

ある部分では、ぼくの方がよく見えていると

ぼくは思っている。

 

そのひとが持っている

ホントの魅力、秘められた可能性、

本人が氣付いていない才能やスゴイところ。

 

もちろん、弱点や

さらに良くなる点もあるかもしれない。

 

それをぼくは、本人以上に

見ることができるんじゃないかと

勝手に自負している。

 

現時点では、相手に伝わらないだけで(笑)。

 

だから、「伝わる」ひとになる。

そんな決意をした。

 

そうすれば、

世界はもっと良くなる。

そんなことを勝手に想っている。

 

大袈裟だって笑うかい?

 

 

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味わい切る


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喜怒哀楽をストレートに出す、という

ある種実験というか、トレーニングをしている。

 

元々、ぼくは喜怒哀楽の表現が

豊かな方ではないし、

どちらかというと、感情の起伏も

さほど大きいほうではない。

 

いや、ちょっと待てよ。

 

昔は、ちょっとしたことで

カッカしていたので、

感情の起伏が小さいというわけでもない氣がする。

 

ただ、最近はそれをあまり表に出すことがなかった。

 

その「感情を表に出すこと」を、

ここにきて始めている。

というよりも、せざるを得なくなっている。

 

なぜぼくは、

「嬉しい」を全力で表現できなくなったのか。

 

それは、ひょっとすると、

誰かから注がれる嫉妬の目を

恐れていたのかもしれない。

 

なぜ、「怒り」を全力で表現できなくなったのか。

それは、怒りをネガティブなものと

捉えたからかもしれない。

 

哀しみもそう。淋しさもそう。

哀しい、淋しいという感情を

味わい切ることなく、蓋をすることで

ぼくは自分を守ってきた。

 

哀しみや淋しさは特に、

味わい切らずに封印してきた感がある。

 

ここにきて、そういう感情の多くが

溢れ出し始めている。

 

それは、ネガティブもポジティブも、

(正確に言えば、ネガもポジもない)

感じたものを、全て出していいんだよ

という仲間ができたことが

大きいと思う。

 

だから最近のぼくは、

たくさんの感情を味わい、表現している。

 

楽しさ、喜び、嬉しさ。

怒り、憤り、哀しみ、淋しさ、くやしさを味わい、

できうる限り、それらを

そのまんま表現しようと試みている。

 

何度も言うけれど、

それをしないと昇華できないことが

起きているから。

 

正確に言えば、未だにそのいくつかは

昇華し切れていない。

味わい切れていない。

 

また、そういう感情に中途半端に

蓋をしようとしている自分も

いることに氣付いている。

 

ま、それでもいいんだけど。

せっかくだからさ。

 

怒り切って、落ち込み切って、哀しみ切って。

 

その上で、楽しみ切って、喜び切って、

全力で嬉しい、楽しい、ありがたい感情を味わって

生きていきたいなといまは想う。

 

こういう感情を味あわせてくれる

宇宙の采配に感謝。

 

 

 

 

 

 

なんて言えるかボケー

ってのが、いまの素直な感情。

 

本当は。哀しいし、辛い。

でも前を向く。理想を見る。

 

イラっとしたり、

自分の理想と違うことが起きたら

即、理想を見に行く。

 

そんなトレーニングでもある。

感情をすべて認めて、その上で、

理想を見続ける。

 

そんな日々です。

 

 

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9月24日

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一人で


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やり切る。

 

一人で。

 

ここ数日の間に、ぼくのもとに

届いたメッセージが、この2つ。

 

そのまんま組み合わせれば、

「一人でやり切る」ということ。

 

なるほどね、とも思いつつ。

 

ぼくは、自分の人生において

「やり切った」と思えることが

ないと思い込んでいた、らしい。

 

でも、改めてみると、そんなことはない。

やり切ったことだって、たくさんある。

 

でも、それを自分で認めきれていなかっただけで。

 

ただ、ぼくの人生においては

いつも誰かが、支えてくれていた感覚はある。

 

いまももちろん、それはあって。

たくさんの仲間や、恩人や、

先輩たちが、ぼくを支えてくれている。

 

「一人で」というのは、

何もかも一人きりでやる、ということではない、

といまは受け取っている。

 

頼るべきところは、頼ればいい。

任せるべきところは、任せればいい。

ひとからの意見も聞けばいいし、

誰かと協同で何かをするのももちろんいい。

 

でも、そこに依存は必要ない。

 

ここ最近のぼくは、心のどこかで、

自分を埋めるための何かを探していたんだろう。

 

もちろん、それも悪いことじゃない。

そういうことが必要なひともいるし、

そうすることで生きやすくなるひともいる。

それが必要なタイミングもあるだろう。

 

でも、いまのぼくには、それは必要ない。

ようやくそう思えるようになった。

 

一人で、やり切る。

 

自分自身の声を聞き、感性を信じ、

自分自身を100%認める。

 

楽読には、「クレド」という

信条というか、行動指針みたいなものがあって。

 

第一条が「自我自賛し、波動を上げて生きます」。

 

自我自賛とは、できた、できないではなく、

自分自身をしっかりと認めること。

自分を尊い存在だと認識すること、と

ぼくは捉えている。

 

わかってはいたんだけどね。

なんだろうね。

そこをやり切れていなかった。

 

ぼくは、ぼくの道を往く。

あなたは、あなたの道を往く。

どこかで交わるのならば、それはそれ。

どこかで助け合えるなら、

それはとてもうれしいこと。

 

でも、あくまでも、それぞれが

一人、個として生きること。

自分自身とのつながりを大切にし切ること。

 

そこからしか、本当の繋がりは生まれない。

そこからしか、次のステップは見えてこない。

 

なるほどね。

 

これが腑に落ちると、

過去の自分を責めたくなる(笑)。

いままで、何をしてたんだ、ぼくはと。

 

でも、それはそれ。

そのときは、それが必要だったんだと思う。

 

一人を生きることが、

みんなのためになる。

 

ぼく自身としっかりと手をつなぐことで

さらにみんなと深くつながり合える。

 

そんなことを考えている。

 

だからか、と、

いろんなことが紐解け始めている。

 

改めて、一人を生きる、を決める。

 

今日もありがとうございます。

 

 

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焦り


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「ない」を見るから、焦る。

このシンプルな方程式に、

いまさらながら、改めて氣が付いた。

 

ぼくには理想があって、

必ずこうなるはず、と思っている。

 

前回書いたブログでは、

握りしめていた理想を手放す、

と決めた。

 

http://abenob2010.hatenablog.com/entry/2018/09/02/132319

 

その結果、

ぼくはいま、その理想の状態ではない

ということを見て、焦っていたのだなと

改めて氣が付いた。

 

焦れば焦るほど、

理想は遠のく。

 

「ない」を見続けているから、

それが現実化する。

 

もし、すでにそうである状態に

自分がいたならば、焦るだろうか?

 

そんなはずはないわけだ。

 

ぼくが少し、理想よりも

早く待ち合わせ場所に

着いてしまっただけ。

 

あるいは、

待ち合わせ場所を

間違えているだけ。

 

理想は、必ずある。

 

早く着きすぎたのなら、

理想が来るのを楽しみにして

コーヒーでも飲みながら、

ゆっくり待っていればいい。

 

待ち合わせ場所を

間違えているのなら、

理想が待つ場所へ移動すればいい。

 

それだけのことで。

焦ることなんて何一つない。

 

いまがまだ、そうではない、

というだけのこと。

 

何度でも言おう、

焦ることは、なにもない。

 

理想があって、

その状態に自分が在り続ければ、

必ずそうなる。

 

だから、ぼくよ。

あっせんなよ。

大丈夫だから。

 

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