自分が忘れていた「自分」と再会する


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そういえば、ぼくは目立ちたがり屋だったんである。

 

忘れかけていたし、ずいぶん長いこと、目立たないようにしてきたのだけれど。本質は目立ちたい人だったのである。それを思い出した。

 

それを思い出したのは、友だちの大ちゃん(磯部大輔氏)のカウンセリングを受けてきたのがきっかけである。

 

〇心屋カウンセリング×固める反射統合ワークとは

大ちゃんがやってる「心屋カウンセリング×固める反射統合ワーク」を受けてきた感想を書く。

 

「心屋」というのは、心屋仁之助さんのこと。心屋さんが提供?開発?したカウンセリングメソッドを使って、大ちゃんがカウンセリングをしてくれるわけだ。

 

なんだけど、その全容をうまく説明はできないから、詳しくはここ↓↓を読んでくれ。

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話はセッションの中身に入っていく。

 

カウンセリング(セッション)は、とても落ち着いた雰囲気で進む。

 

ぼくらが心理カウンセリング、と聞いてイメージするような、白衣を着たおっさんが糸のついた五円玉を目の前でブラブラさせて「あなたは眠くなる」的なことをするわけではない(これは催眠術か)。

 

または、何か幼少期にあった怖いこと、子どもの頃のトラウマを引っ張り出してきて「これがあなたの不安の原因です(ばばーん)みたいなこともしない。

 

話したければ、話せばいいし、話したくなければ、大丈夫。そういうスタンスで進めてくれる。だから、安心して自分の目の前の課題やテーマを直視できると思う。しかも、決して重たくなく。実にフラットに。

 

ぼく自身のセッション内容はあまり大っぴらにしないけれど、ぼくはどうやら「自分で何でもやらなければならない」と思っていたらしい、ということにまず氣が付いた。ほほう。そんなつもりはなかったのだけれど。

 

あれも、これも、それも、自分がやらなければならない。自分でやるべきものだと思っていたフシがある。これは、今回のセッションで改めて思ったけれど、確かにある。

 

全て自分で「出来てたか」といえば、そうではない。ただ、そうあるべきだと思い込んでいたのは事実。そこに氣付いただけでも、儲けものである。

 

〇目の前の問題はダミー

このセッションでは、目の前で起きている問題は、実は真の問題ではなくダミーだという考え方をするらしい。確かに、出来事は全て〇でも✖でもなく、ぼくらのものの見方によって変わる。そう思えば、目の前の問題が「問題」ではなく、自分のさらに深いところにある何かを投影しているだけ、とも考えられる。

 

ぼくの場合、「あ、それは今要らないヤツだったのね」と、改めて感じさせてもらった。

 

詳細は省くけれど、「A かBか」あるいは「Aもだけど、Bも」と思っていたことが「今はAは必要ない。Bに突き進め」ということが明確になった。自分でも薄々氣付いていたけれど、Bをフル回転でやらないための言い訳・ブレーキとしてAを使っていた、みたいだ。もちろん、無意識的に。

 

さらに、ぼくは「面白くない文章を書くヤツだと思われたくない」と思っているらしい。ま、確かにそれはある。そして、オリジナリティを何よりも重要視している、というフシもあるらしい。思い当たらないわけではない。

 

でも、このセッションでは「面白くないと思われてもいい」、「人の褌で相撲を取ってもいい」と自分に許可を下ろしていった(あくまで私の場合は、だ)。

 

そうすると、今まで以上に自分が書くブログや文章に対するハードルは(良いか悪いかはわからんが)下がった感覚もある。

 

ネタがないから書けない、ではなくて、ちょっとした小ネタで書いてみようか、という気持ちになれそうな感覚がある。

 

(今までも、大したネタではないものもあったではないか、とかは言わない約束)

 

〇そして、目立ってもいい

セッション中に出てきて、何より「おや」と思ったのは「目立っても良い」というキーワードだった。

 

ぼくは長いこと、「目立ちたくない」ポジションを取ってきたし、目立ちたくない人だと自分を認定してきたのだけれど、そうではなかった。

 

しかし、だ。小学生の頃には、学芸会で舞台の主役を(しかも割と率先して)やった記憶がある。合唱会では指揮者を買って出たこともある。うむ。目立ちたがり屋ではないか。

それがいつの間にか、「目立つのは良くない」、「目立つのは損である」という思い込み(学習?)が働いて、ぼくはなるべく目立たないことを選択するようになっていった。

 

そのことはそのことで、まあ悪い選択ではなかったのだけれど、それが今まで残っていた、らしい。目立っても良い。特に、文章を書くことで目立つことは悪くない。悪くないどころか、どうやら潜在的にはそれをしたかったらしい、のである。うーむ。

 

目立っても良い。これをぼくが自分自身で認めたとき、何が起こるのかはさっぱりわからない。ただ、「あ、そういえばそうだった」と思い出させてくれるきっかけにはなった。

 

まとめると、知らない自分に会う、というよりは、自分でも忘れていたり、なかったことにしていた自分に氣付くセッション、という感じだった(ぼくの場合は)。

 

氣付くと、統合できる。なかったことにしていても、絶対に「ない」ことにはならない。であるならば、それを認めて今の自分と合わせていった方がいい。ぼくはそう思った。

 

というわけで、大ちゃんの「心屋カウンセリング×固める反射統合ワーク。」おススメです。

 

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