「あい」について考えた(唐突に)


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今回は、「あい」について書きたいと思う。

 

うん。「青は藍より出でて藍より青し」の藍ではないし、福原の愛でもない。宮里の藍でもないし、♪ひとりじゃ~ない~から~ キミが私を守る~から~ 強くなれる~ もう何も恐くないよ~♪のAIでもない(JASR○Cの目を氣にしながら)。

 

そう。今回は、どストレートに「愛」について書いてみたいと思う。

 

昔のぼくを知っている人ならば「大丈夫か?」と思うかもしれない。大丈夫。ぼくは完全に正氣だし、あるいは完全に狂氣だ。いずれにしても、皆さんにご迷惑をかけることは(そんなに)ないはずだ。

 

○「愛って何?」という疑問への回答

まず、「愛」の言語的定義を把握しておく。

 

あい【愛】

1)対象をかけがえのないものと認め、それに引き付けられる心の動き。また、その気持ちの表れ。

 ・相手をいつくしむ心。相手のために良かれと願う心。愛情。

 ・異性に対して抱く思慕の情。恋。

 ・何事にもまして、大切にしたいと思う気持ち。

2)キリスト教で、見返りを求めず限りなく深くいつくしむこと。 → アガペー

3)(仏) 人や物にとらわれ、執着すること。むさぼり求めること。渇愛

4)他人に好ましい印象を与える容貌や振る舞い。あいそ。あいきょう。

コトバンク大辞林』第三版)

 

愛というと、なぜか男女間のものをイメージしがちだけど、「対象をかけがえのないものと認め、それに引き付けられる心の動き。また、その気持ちの表れ」と置くならば、決して異性間だけに発生するものとは限らない。

 

同性の間に生まれる友情、家族間の愛情。隣人愛ってのもあるはずだ。となると、人間の間でかけがえのない物と認め(認め合い)、大切にしたいと思うことこそが「愛」と言えるかもしれない。

 

○愛はどこからやってくるのか

では、愛はどこからやってくるのか。

 

例えば、赤ん坊を見て「愛しい」と思う氣持ちに、打算や損得勘定があるだろうか。アカチャンホンポ西松屋にお勤めの方はそうかもしれないけど、多くの人はそうではない。つまり、赤ん坊を愛おしく思うのに理由はほとんどない。

 

アタマでは理解できないことや、理屈では計り知れないものが、そこにはある。

 

人間の感情はすべてそうかもしれないけれど、特にこの愛ってやつは、どこからともなく、自然と湧き上がってくるものだとぼくは感じる。

 

で、昔は「あい=天意」と表現していたと聞いたことがある。これだと、ぼくはものすごくしっくりくる。

 

てんい【天意】

1)天の心。自然の道理。

2)天子の意志。

 

 

例えば「自分にとって得かどうか」、「メリットがあるか」、「どんな価値があるか」という判断基準は、どこまで行っても人間業だ。もちろん、決して悪くない。そういう冷静かつ適切な判断が必要なケースもあるし、そういうのが好きな人だっている。

 

一方で、愛情はそうではない(と、ぼくは思っている)。勝手に湧き上がってくるもの。どこからともなく溢れ出て、止まらないもの。これこそが「あい=天意=天の心、自然の道理」だと思う。

 

だから、湧き上がってきたインスピレーションが、ぼくら人間の理屈を超えてしまうこともある。

 

例えば、結婚している相手を好きになるとか、安定を捨てて不安定な状態に飛び込むだとか。自分が持っている常識や固定観念からはかけ離れたものが出てくることもある。

 

だから、ぼくは自然と溢れてくるものを無視したり、邪魔したり、蓋をしたりしてきた。これは、意識していることもあれば、無意識のこともあると思う。

 

○天意(あい)の世界を生きる

でも、ぼくらがアタマで考えることは、どこまで行っても理屈や因果関係や、過去データから引っ張ってきた世界でしかない。当然ながら想像がつくし、変な話、安心だ。

 

だから、ぼくらが理想を描こうとすると、このゾーンでの理想が出てくることが多い。もちろん、これは全く悪いことじゃないし、間違いでもない。

 

でも、天意(あい)から渡される理想は、はっきり言って突拍子もない。人間的には「マジで?」と聞きたくなることもある。でも、その天意(あい)に沿って生きるのは、実は本当に楽しいし、喜びだったりする。

 

どっちが良いとか、悪いとか、そういうことじゃない。どっちに従って生きてもいい。ただぼくは、天意(あい)の世界を生きたいと思っている。


どうしたらいいか。自分のココロの声に耳を傾けて、インスピレーションを大切にして行動すればいい。どうしても今それができないとすれば「ぼくはそれがしたい人なんだな」と、その氣持ちを受け止めて、尊重すればいい。

 

ぼくは、それができていなかった。自分の意に沿わない、あるいは常識から外れたインスピレーションが渡されたとき「そんなはずはない」と否定してかかっていた。今は違うけれど。

 

突拍子もない、あり得ない思い付きでも、大切にしてみる。天意(あい)の世界は、そこから始まる氣がしている。

 

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