あなたのアタマの中のうどんを語れ
ここ数日、うどんばっかり食べていた。
たまたま、と言えばたまたまだし、意図的に、と言えば意図的になのだけれど、ともかく、9回の食事のうち、5回くらいはうどんだったのではないか(記憶は曖昧)。
でも、不思議なことに飽きない。どれを食べてもうどんはうどんで、全てうどんなのだけれど(当たり前だ)、食べるシチュエーションも違えば、味も違う。
ざるうどんなのか、カマタマなのか、きつねか、肉うどんか。温かいか冷たいかだけでも二択。そこから、料理方法(と、言うべきか否か)によって、うどんは様々な様相を呈していく。実に面白い。
いや、なぜこんなことを書いているかというと・・・。
一口に(いや、うどんだけに、じゃないのよ)「うどん」と言っても、きっと皆さんが頭に思い浮かべる「うどん」像は千差万別なんだろうな、と思ったのだ。
○亀製麺や花○うどんが思い浮かぶ人もいれば、香川県で食べた、ねぎを自分で刻むような店のうどんが思い浮かぶ人もいるだろう。
あるいは、大阪のきつねうどんがパッと思い出される人もいるだろうし、「赤いきつね」的なものを想起する人もいるかもしれない。
秋田の人は稲庭うどんを思い浮かべるかもしれないし、伊勢うどんのような変化球だってある。名古屋名物。ありゃきしめんだけれど、人によっては「うどんみたいなもんだろ」というかもしれない。
この間、あるところで友だちに連れて行ってもらったうどん屋さんのざるうどんは、麺がもう「美しい」と言いたくなるほどのゆで上がり&盛り付けられ方であった。こういううどんもあるよね、と。
つまり。「うどん」ですら、ぼくらはこれだけ多種多様なものを思い浮かべる可能性がある。いわんや、形のないもの、定義のはっきりしないものをや、ということが言いたいのである。
「勇気」とは。
「愛」とは。
「孤独」とは。
「夫婦」とは。
「責任」とは。
「仲間」とは。
「信頼」とは。
こういう言葉たちを、ぼくらは使っている。はてさて。どれくらい、その中身を相手と共有出来ているのだろう?と、急に考えた。
それぞれに想起するものが違うこと、それ自体は悪いことじゃない。ただ、「伊勢うどん」と「讃岐うどん」を、あるいは「○亀製麺」と「つる○んたん」、「どん兵衛」と「赤いきつね」を頭に浮かべた者同士が「うどん」について語り合うとき、悲喜劇は起こりやすい。
いや、最後のはそんなに差がないんじゃないか。
それはさておき。
ぼくらは、相手のアタマの中にある「うどん」の姿について、寄り添ったり、想いを巡らせることも必要なのかもしれない。
そして、自分のアタマの中の「うどん」について、相手に伝える機会があっても良いのかもしれない。そんなことを考えた。
あなたの中のうどんを語れ。そうして意識や感覚を共有することが、相互理解につながるはずだ。
案外そんなところから、世界平和は始まるのかもしれない。
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